Man and Woman

clover

11.

 麻野は隣駅に程近いマンションにひとりで暮らしていた。
「……素敵なマンションですね」
「ああ、知り合いが持ってるものなんだけど、仕事で海外に行くことになってね。しばらく帰ってくる予定もないらしいから、その間借りてるんだ」
 オートロックの自動ドアを開け、中に入る。
「そうなんですか……」
 シックな内装でまとめられたエントランスホールを抜け、エレベーターに乗り込んだ。

「どうぞ」
「…おじゃまします……」
 六階でエレベーターを降りてすぐ、右側の玄関のドアを開けた。
「ちょっと散らかってるけど」
「いえ、そんなこと……」
「お茶でも淹れようか。ちょっと座って待ってて」
「あ、お構いなく…すみません……」
 キッチンに向かった麻野の背を見送ってから、リビングのソファに腰を下ろした。
 リビングダイニングから続く部屋のドアの隙間からは、ベッドが置いてあるのが見える。
 シンプルな室内は茶系のファブリックでまとめられていて、佐奈はその色味がなんとなく麻野に似合っている気がした。

 ことん、と小さな音を立てて、テーブルにティーカップが置かれた。
「あ、ありがとうございます」
 麻野は佐奈のすぐ隣に腰を下ろした。
「…あ、あの、…忘れ物って……」
「ああ……ごめん、…嘘なんだ」
「え?」
「もう少し、佐奈とふたりでいたかったんだ。……嘘言って、ごめん」
 そう言う麻野の顔がひどく寂しそうな表情に見えて、佐奈はかえってうろたえてしまう。
「あ、いえ……あの……」
「……これ」
 と、先ほど麻野が持っていたブリーフケースから、小箱を取り出す。
「誕生日のプレゼント。…気に入ってもらえたらいいけど」
「え…っ……」
「開けてみて」
「あ…はい……」
 かさかさと音を立てて、包みを外していく。
 箱の蓋を開けると、銀色の細いチェーンに同じ色の四葉のクローバーの形をしたペンダントがついていた。
「わあ……かわいい……でも、こんな…申し訳なくて、いただけません……」
「何言ってるの」
 と、苦笑する。
「だって……」
 箱に入っていた手入れ方法が書かれている小さな紙によって、それがホワイトゴールドであることがわかる。
「こんな高価なもの……」
「君のために選んだんだから、受け取って」
「あ……はい……ありがとうございます……」
「つけてみてくれたらうれしいな」
「…はい……」
 チェーンを指先で摘み、金具を外す。
 首の後ろで留めようとするが、アクセサリーをつけ慣れていないせいか、上手く留められない。
「やってあげようか」
 と、麻野の手が伸びた。
 体の向きを向かい合わせにしていたため、自然と佐奈は麻野の腕の中に入るような格好になる。
「す、すいません……」
「ほら、できた。…でもそのワンピースだと、襟があるからよくわからないね。……襟元、外してみようか」
「え……あ、そうですね……ボタンを……」
 佐奈の言葉の途中で、麻野の指が襟元に触れた。
 しゅる、とリボンを解く衣擦れの音が耳の中に響く。
 ボタンをふたつあけたところで、ペンダントを鎖骨の間に収める指が触れた。
「ちょうどいいね。…よかった、似合うみたいだ」
 指先でゆっくりとチェーンをなぞってから、手が離れた。
「鏡、見てみる?」
「あ、はい…見てみたいです」
「こっち」
 と、手を引かれて洗面所に向かう。

 洗面所の明かりを点けると、正面の鏡にふたりの姿が映った。
 佐奈の後ろに麻野が立ち、微笑んでいる。
「…かわいいですね、これ……」
「ほら、あのクローバーが頭の中にあってね」
「あ……」
「なんとなく佐奈のイメージなんだ、四葉のクローバー」
「そう…なんですか……」
 佐奈は指先でそっとクローバーのチャームに触れる。
「どうかした?」
「いえ…ありがとうございます……こんな素敵なもの、いただいたのはじめてで……」
 そのとき、麻野がゆっくりとした動作で佐奈を後ろから抱きしめた。
「先生……?」
「……リビングに戻ろうか」
 すぐに体を離して、佐奈の手を取りリビングに戻る。

 リビングに入ったところでまた抱きしめられた。
「ねえ、佐奈。……男の部屋に来るってこと、…どういうことかわかってる?」
 麻野の腕の中にすっぽりと収まるように抱きしめられていて、顔を上げることもできず、麻野が今どんな表情をしているのか、佐奈には見当もつかなかった。
「え…っ……」
「……例えば、こんなことも許されると思われるんだよ?」
 指先で顎をそっと持ち上げられる。
 目が合ったと思った瞬間にはもう、佐奈の唇は麻野の唇で塞がれていた。
 柔らかく、少し濡れたような感触は、指で触れられるのと全く違っていた。
「……キスのときは、目を閉じるものだよ」
 唇が離れ、麻野の声がしたところで我に返った。
「……キス……?」
「知らない?」
 麻野はぼんやりとした佐奈の顔を覗き込んで、くすっと笑う。
「あ、…そういう、わけでは……」
 頭の中が真っ白で、自分が何を言いたいのかもわからない。
 麻野はもう一度、佐奈の唇に自分の唇を重ねた。
 佐奈は唇が触れ合ってから慌てて目をきつく閉じる。
 ゆっくりと角度を変えながら唇を触れ合わせ、佐奈の唇の間から舌を割り込ませた。
 その瞬間、佐奈の肩がぴくんと震えた。
 麻野はその肩を手のひらで包み込むように掴み、引き寄せる。
「…ん…っ……」
 思わず小さな声が漏れた。
 口の中をねっとりと味わうように動き、絡まってくる麻野の舌の動きに翻弄される。
 肩を掴んでいた手が背中に回り、ゆっくりと腰まで撫でていく。
 佐奈にはこの行為がどれだけの間続くのか想像もできなかった。

 微かに濡れた音を立てて、唇が離れた。
 キスの間ずっと上手く呼吸ができなかったせいで、大きくため息をつく。
 そのため息がやけに熱っぽく感じられて、そんな自分の感覚に戸惑う。
「……ね…脱がせても、いいかな?」
「え…っ……」
「佐奈の体を、見たい」
 佐奈の背中を支えながら、ゆっくりとソファに横たわらせる。
 先ほどのキスで混乱状態の佐奈は、どうしたらいいのかわからずに麻野のされるがままになってしまっていた。
「でも…っ……」
「君が好きだから、全て知りたいんだよ」
 と、ワンピースのボタンを外していく。
 その下からシンプルなサックスブルーのスリップが現れる。
「……見ないでください……」
 消え入りそうな声でやっと呟いた。
「どうして?」
「……綺麗じゃ、ないですから……」
 自分の肩を抱きしめるようにする佐奈の手を取って、そっと離す。
「ああ……痛かった? …ここも……」
 と、子どもの頃に内出血をし、きちんと治療をしなかったせいで痣になってしまっていた部分を指先で撫でた。
「…っ……先生っ……」
「……忘れさせてあげるよ」
 指先で触れていた部分に唇を這わせた。
「あ……!」
 肌を強く吸っては、舌でゆっくりと舐める。そしてまた強く吸いたてた。
「い…っ……痛いです…っ……」
 それでも麻野はやめることはなかった。
 その痛みは、その傷ができたときの痛みとはまるで違っていて、佐奈の肌に甘美な余韻を残していく。
 麻野は佐奈の肩に、腕に、花びらのような赤みを作っていく。
 指先をスリップの肩紐にかけ、ゆっくりと下におろし、胸元を露わにする。
「先生…っ……」
 胸元に唇を寄せる麻野の髪が佐奈の肌を擽る。
 ブラごと大きな手のひらで包まれ、ゆっくりと強く揉まれた。
「…あっ……」
 麻野の手が背中のホックに掛かる。
「先生…っ…せんせ……」
 麻野の肩を強く掴んだ。
 麻野が顔を上げて佐奈と目を合わせる。
「…先生……こ…こわいです……わたし……」
 佐奈の声は涙声になっていく。
「……そうだね、…急ぐことはないね。……泣かせるつもりではないんだ」
「…はい……」
 瞬きをした拍子に目尻から涙がこぼれた。
 その涙を麻野が唇でそっと拭い、佐奈の体を包み込むように抱きしめた。
「好きだよ、佐奈。……愛してる」
 耳元で囁く声に、胸が締め付けられるような痛みを感じる。
 なんと答えていいのかわからずに、佐奈は麻野の背にそっと手を伸ばす。
 暖かな背から微かに麻野の鼓動が感じられた。
「……もう、行こうか。こうしているとまた、我慢できなくなりそうだ」
 くすっと微かな笑い声とともに、麻野の体が離れる。
 ふたりの体に隙間ができたとたん、露わにされた胸元に流れ込んだ空気がすっと冷たく感じられて、佐奈は肩を竦めた。