Man and Woman

clover

18.

 ……先生はきっと、わたしよりもずっと辛い思いをしてきたんだ……。

 背中を抱き寄せられて身体を近づける。
 佐奈は躊躇いがちに麻野の肩に抱きついた。
 キスをしたままゆっくりとソファに押し倒される。
 頭の中に思い描いた麻野の過去は、じんわりと広がるキスの甘さのせいで、すぐにどこかに消えてしまっていた。
 唇の端からふたりのものが混ざり合った唾液が零れると、麻野の唇がそれを追っていく。
「……これは、飲み込むんだよ」
 と、また唇を重ねた。
「…んん……」
 口内に流れ込んでくる唾液を必死で喉の奥に流し込む。
「……そう、いい子だ」
 僅かに唇を離して囁いた。
 Tシャツの裾から侵入した手が、簡単に背中のホックを外して胸の膨らみを弄る。
「ふ…ん…っ……あ……」
 Tシャツをたくし上げ、裸の胸元にキスを落としていく。
「脱いで」
 佐奈は麻野の言葉に素直に応じ、袖から腕を抜いていく。
「下も、自分で脱いでごらん」
「え……はい……」
 サイズの大きなハーフパンツは横たわっていても簡単に下におろすことができる。
 少し震える手でゆっくりと下げ、脚を抜く。
「……これも、脱いで」
 と、ショーツの上辺をそっと指先でなぞった。
「え……」
「できるね?」
「…や……できません……そんな……」
「佐奈」
 じっと見つめる視線が肌に刺さってくるように感じる。
「……できません……」
 消え入りそうな震える声で答える。
「……残念だな」
 見下ろす麻野の表情が曇った。
「…っ……先生……」
 がっかりされるのは嫌だと思い、思わず麻野の肩に縋りつく。
「もう、嫌?」
「ちが……」
 そうじゃない。
 もっと触れて欲しい。
 そんな言葉が浮かんでは消える。
 そんなこと言える訳がない。
 そんなふうに思いはじめているなんて、自分はなんてはしたないんだろうと思うが、そんな自己嫌悪よりも欲求の方がどんどん強くなっていく。
「佐奈」
 もう一度、麻野の瞳が佐奈を促がす。
 その瞳は佐奈の迷いを見透かしているようだった。
 佐奈の潤んだ瞳が揺れた。
 震える指先がショーツにかかり、隠れていた部分が徐々に姿を現しはじめる。
 恥ずかしさに眩暈がして目を開けていられなかった。

 ……先生が、そこを見てる……。

 目を閉じていても、麻野の視線がどこに注がれているかわかるような気がする。
 膝を折ってショーツを足首まで下ろした。
「…ぬ……ぬぎました……」
 恐る恐る目を開けて麻野の顔を見上げると、麻野はやさしく目を細めて見返してくれる。
「できたね。いい子だ。……ご褒美は、何がいいかな」
 足首に引っかかったままのショーツを外し、床に落とす。
 佐奈の膝を立てるようにして脚を開かせた。
「あっ…や……」
「……脱ぐだけで、こんなに濡れてしまったんだね」
「やっ…ああぁっ……!」
 そこを指先ですっとなぞるだけで、滴が肌を伝って落ちた。
 熱く昂ぶった肌は、より強い刺激を求めていた。
 頭でははしたないと思っていても、その欲望を抑えることができない。
「触ってほしい?」
 内腿をゆっくりと撫で上げ、しかし一番熱い部分には触れないでいる。
「佐奈?」
「ふ…ん……っ……」
 小さく頷くが、麻野はそれに対してただくすっと笑うだけだった。
「ちゃんと言わないと、わからないよ?」
「や…言えない…っ……」
「言えないようなことを言いたいんだね?」
「あ…や……」
「ここには僕だけしかいないよ。僕だけに聞かせて」
 そっと唇を重ねて、鼻先があたるほど接近したままで囁く。
 その声に佐奈の脳は溶かされていくような気がした。
「……さ…さわって…ください……」
 聞き取れないかもしれないと思うほど小さな声で答えた。
 それでも麻野は満足げに微笑んで、そこに指を伸ばす。
「ああっ……!」
 熱く溶けた蜜が麻野の指でかき回され、溢れ出す。
 その感触と水音が佐奈を淫らな快楽へと突き落としていく。

 ……こんなこと……いけない……。

 頭ではそう思っていても、その思考はすぐに隅に追いやられ、消えていく。
「あ…っ……ん…うん…っ……」
 やや強引に唇を重ねられ、舌を絡めて強く吸いたてた。
「佐奈……こうして欲しかったの?」
 唇が触れ合ったままで吐息混じりにやさしく囁く声が、頭の中に響いてくる。
 どうして欲しかったかなんてわからない。
 答えることなんてできない。
 頭に浮かぶ言葉とは裏腹に、身体は麻野の思うとおりに反応していく。
「や…あ…ああっ……」
 胸の頂を口に含み、舌の上で転がす。
「待ってたんだね……かわいいな」
 胎内で蠢く麻野の指は、佐奈の敏感な部分を確実に捉え、ゆっくりと責めたてていく。
「あっ…あ……」
 内側と外側の両方に刺激を与えられ、佐奈の唇からは荒い呼吸と言葉にならない声が漏れるだけだった。
 佐奈の頭はもう、何かを考えることなどできなくなっていた。
 まだ羞恥心は残っているものの、麻野の愛撫に反応してしまう体も声も、自分ではどうすることもできない。
 自分がまた、頂点に向かって上りつめていることを感じるのと同時に、どこか深い場所に落ちていくような感覚に襲われた。
「……せんせい……」
 やっとのことで麻野の肩にしがみつくと、やさしく笑う吐息が耳元を擽る。
「佐奈……愛してるよ」
 その言葉を聞いてから、ゆっくりと目を閉じて自分の全てを麻野に委ねた。





 ベッドが少し揺れて、意識がゆっくりと戻ってきた。
 微かな足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
 重い瞼を開いて窓のほうを見ると、レースのカーテンの向こうは紫がかった空が広がり、オレンジ色に色づいた幾筋かの雲が連なっているのが見えた。

 ……雨…止んだんだ……。

 あれから何度達したか、自分ではわからなかった。
 何度か頂点に達したような気もするし、ほとんどずっと達したままだったような気もする。
 途中、麻野に抱きかかえられて寝室に来たことはぼんやりと覚えているが、全てが夢の中だったような気分がした。
「…んっ……」
 体に思うように力が入らず、寝返りを打つだけで全力を要する。
 開いたままのドアの向こうに人の気配がするが、この部屋には佐奈がひとり取り残されたようにしてベッドの中にいる。
「……先生……」
 小さな声で呟くが、部屋から離れている麻野には聞こえない。
「……先生……せんせ……」
 ひとりで居たくなくて、側に来て欲しくて。
 麻野を呼ぶ声は徐々に涙声に変わっていく。
 どうして涙ぐんでくるのか自分でもわからない。

 ……わからないことばかり……わたしは…どうしたらいいの……?

 涙が一筋零れたとき、ドアの向こうに麻野の姿が霞んで見えた。
「……佐奈?」
「……先生……」
「どうした? 悪い夢でも見た?」
 すぐに近づいてベッドに腰を下ろす。
 佐奈は縋るようにその肩に抱きついて、黙って首を横に振る。
 背中をそっと抱きしめる手が素肌に触れたことで、今自分が裸のままでいることに気がついた。
「……なんでも…ないんです……ただ…ひとりでいたくなくて……」
「ああ、ごめん。お風呂用意してきたんだ。すぐにお湯入るから」
 背中をゆっくりと撫でながら、いつも通りの穏やかな声が耳の中でやさしく響く。
「……はい……」
「用意できたらお風呂入っておいで。それから、食事に行こう」
「はい……」
 少しだけ体を離して、そっと唇を重ねる。
 唇を離したときに、目の前にはレンズ越しにやさしく目を細める麻野の顔があって、その普段と変わらない微笑みにほっと安心した気持ちになる。
「ひとりが嫌なら、一緒に入ってもいいけど?」
 と、麻野が悪戯っぽい笑顔に変わった。
「や……ひとりで、入れます……」
 急に恥ずかしくなってきてタオルケットを胸元まで引き上げた佐奈を見て、麻野がくすくすと笑い声を立てた。
「動ける?」
「あ……えっと、……まだ…なんだか力が入らなくて……」
 こんなことを言うなんて恥ずかしいという気持ちもあったが、だからと言って寝返りを打つだけでもかなりの力が必要だったのだから、この状態で立って歩けるはずがなく、佐奈は仕方なく正直に答えた。
「まだそんなに遅いわけでもないから、ゆっくりしてていいよ。……大丈夫、今日はもうしないよ」
「や、そんな……」
「それとも、して欲しい?」
 麻野は悪戯っぽい表情を浮かべて佐奈の目を覗き込む。
「ち、違……あ、あの…でも……」
 正直に言いかけて、そんなふうに否定するのは良くないだろうかと途中で言葉を濁した。
 麻野には佐奈の考えていることが手に取るようにわかるようで、面白そうにくすくすと笑い声を立てる。
「とりあえず、今日は満足してますから。佐奈の明日の仕事に響いたら悪いしね」
「や…もう……」
 頬を赤らめてタオルケットで顔を隠そうとする佐奈の頭をそっと撫でた。
「……ねえ、佐奈」
「はい?」
「佐奈は、僕のこと好き?」
 そう聞いてきた麻野の表情は、いつもと同じ穏やかな微笑みのような、しかし少し寂しげな色を浮かべているような不思議な感じがした。
「あの、……はい……好き、…じゃなかったら……こんなふうに、しません……」
 顔の半分をタオルケットの中に埋めたまま、麻野を見上げて呟くように答えた。
「そっか。よかった」
 そう言って微笑む表情は、いつもの穏やかな笑顔のように見える。
 寂しそうに見えたのは、ただこの部屋が薄暗いせいだったのかもしれない、と佐奈は思いなおした。