Man and Woman

clover

21.

 部屋に入ってきた佐奈の顔を見て、麻野はすぐに心配そうな表情になった。
「どうした?」
「え?」
「なんだか、疲れた顔してるから」
「あ……やだな、そう見えます?」
 コーヒーカップを机に置きながらわざと明るく笑ってそう返したが、かえって麻野は眉間に皺を寄せた。
「……佐奈」
「えっと、ちょっと寝不足が続いちゃって……おとといはあの後、友達が泊まりに来て……ついおしゃべりしちゃって遅くなったんです」
 肩を竦めると麻野の表情が幾分か和らいだ。
「昨日もちょっとなかなか眠れなくて……それで、今日は早めに帰ろうかなと思って……今、邪魔じゃなかったですか?」
「うん、ちょうど今空いたところだから」
 手でソファに座るよう促がし、佐奈もそれに応じてソファに腰を下ろした。
「……で?」
 麻野も佐奈の隣に腰を下ろした。
「えっ?」
「昨夜眠れなかった理由は何?」
 そっと佐奈の手を取って握った。
 また、佐奈の胸の奥に甘い痛みが走る。
 心臓が脈打つごとにその痛みが強くなるような気がして、そっと胸元をおさえた。
「一昨日会った友達が、ちょっといつもと違うような、そんな気がして……でも気のせいかなって」
「そう」
「彼氏と、別れたとか……そう言ってたから、そのせいかもしれませんね」
「なるほど。そういう時にはやっぱり寂しくなったりするものかもしれないね」
「他に好きな人ができたって、言ってたけど……大丈夫かなって」
「それで心配で眠れないなんて、佐奈はやさしいんだな」
 そう言って微笑む麻野の顔を見上げると、少し気分がが晴れていくように感じた。
「……そんなこと……すみません、なんか…こんな話……」
「構わないよ。そうか、だからいつもよりも早くに来たんだな。早めに帰って休んだ方がいい」
 肌も荒れちゃうよ、と付け加えてそっと頬を撫でた。
 もう何度こうやって触れられたかわからないくらいだったが、それでも佐奈は恥ずかしくて俯きがちになる。
「あ、はい……誰かカウンセリング中だったら待っていようとは思ったんですけど……」
「うん、ちょうど終わったところだったから。……梨花ちゃん、昨日佐奈と四葉のクローバーを見つけたって聞いたよ」
「あ……はい。学校、行けないみたいで、お庭にいたのを見かけて……」
「……子どもの頃を思い出した?」
「はい……わたしも同じだったなーって思って……」
「そうだね。……知ってるよ、佐奈がこれを探してたときのこと」
「……え……?」
 思いがけない言葉に顔を上げると、麻野は机の前に飾られたクローバーのフレームを見つめていた。
「佐奈は僕のこと全然見てなかったからね。知らないだろうけど」
「あ……」
 あのときの声は確か男性の声だった。
 佐奈はそれだけしか覚えていなかったけれど。
「見つけたってうれしそうにした瞬間、倒れたんだよ。覚えてる?」
「それは…熱中症かなんかですよね……帽子も被ってなかったし、朝から暑かった日だったから……それは覚えてます」
「そう、部屋まで僕が運んだんだよ」
「えっ……そうだったんですか……す、すみません……」
「高校三年の夏休み前……ちょっと進路に迷っててね、園長先生に相談しに来たときだったんだ」



 夏休み前の平日、その日、麻野の高校は開校記念日で休みだった。
 その休みを利用して園長に相談をするためにさくら園を訪ねてきた麻野は、おかっぱ頭の小さな少女が中庭にいるのが目に入った。
「何、探してるの?」
 近くに寄って声をかけたが、その少女は顔も上げずにクローバーの茂みを指先でかき分けていた。
 四葉のクローバーか……と思ったときに、指先が止まった。
「……あ……あった……」
 ぷつりと小さな音とともに、その小さな手の中に四葉が一本収まる。
 と同時に小さな頭が揺れた。
「あっ……大丈夫?」
 咄嗟に抱きかかえた体がひどく熱かった。



 目を瞬かせてそのときの話を聞く佐奈の髪を、麻野の指がゆっくりと梳いていく。
「今、僕がこの仕事をしているのは、佐奈のおかげだって言えるんだよ。そのときにこういう道に進もうって決めたんだからね」
「えっ……わたしは何も……そのときは、ありがとうございました……全然、覚えてなくて……」
「仕方がないよ、僕の顔なんか見てなかったし。お母さんがすごく心配してた」
「す、すみません……」
 真っ赤になって俯く佐奈を見て、麻野がくすくすと笑った。
「……それからずっと、佐奈を見てたんだ。あのとき……はじめて会ったときに、笑った顔を見なかったから」
「え……?」
 顔を上げると、真っ直ぐに自分を見つめる瞳と目が合う。
「話はしたことがなかったけど、あの子はちゃんと笑えるようになるだろうかって、ずっと気にしてた。ここに遊びに来ては、佐奈のことをそれとなく園長先生に聞いたりしてたよ」
「……そうだったんですか……」
 今まで知らずにいた事実。
 自分の知らないところで、こんなふうに自分を気にかけていてくれる人間がいたことに驚く。
「お母さんが亡くなったって時には心配したけど……高校に行くのにここを出て行ったというのを聞いてからは、なんとなく安心してしまって、それきりになっていたんだけどね」
「わたしは、もう……大丈夫です。あの頃は……このクローバーを取ったときはまだ、ここにも慣れてなかった頃ですし……」
「そうだね。……こんなふうにまた会えるなんて、思ってもいなかったよ」
 そう言ってゆっくりと顔を近づける。
 唇が重なる瞬間に佐奈はそっと目を閉じた。

 ……わたしのこと……先生はずっと知ってたんだ……。

 驚きとともに、何か嬉しいような幸せな気持ちも湧いてくる。
 軽い口づけのあと、唇が離れてからゆっくりと目を開けると、いつもと同じようにやさしく微笑む麻野の瞳が目に入った。
 その瞳に見つめられると、とたんに恥ずかしくなってくる。
「あっ……あの……梨花ちゃんは……これから、大丈夫ですよね……?」
「そうだね、今はまだちょっと新しい環境に慣れないせいもあるし。……でも、この前児童相談所で会ったときよりはずっとたくさん話をしてくれたよ。このクローバーのおかげかもしれない」
「よかった……」
「あと、佐奈もね」
「えっ……わたしは何も……ただちょっと、一緒に遊んだだけです……先生も、やさしいですから……そのせいですよ」
「……僕はやさしくなんかないよ」
 と言って、また唇を重ね合わせた。
 ゆっくりと舌を絡ませては解き、また絡ませる。
 角度を変えながら、余すことなく佐奈の口内を味わうような口づけに、いつしか佐奈の体は脱力していき、背中をゆっくりと上下する麻野の手に身体を預けてしまう。
「……本当にやさしい人は、悩み事で寝不足してて体調悪そうにしてるような子に、こんなことしないよ」
 唇を触れ合わせたまま掠れた声で囁き、また深い口づけを交わす。
「…ん……あっ……」
 麻野の手が佐奈のカットソーの中に滑り込んでいく。
 唇の隙間から佐奈の声が漏れた。
 胸の膨らみを手のひらで包み込み、柔らかく揉む。
「んんっ……あ……!」
 指先で下着の上から先端を摘むと、佐奈の声が小さな叫び声に変わった。
「……しるしを、つけてあげなくちゃね」
 と、首のつけ根に口づけた。
「……いた……」
 きつく吸い付かれる痛みに、思わず声が出る。
「すぐ終わるよ」
 麻野はくすっと笑ってまた、同じ場所に唇を当てた。
「……今日の服では、見えてしまうね。……僕としては、そういうのも悪くないけど」
 唇を離し、紅く色づいた部分をそっと指先で撫でた。
「……先生……」
 佐奈は麻野のシャツの袖をきつく握っていたことに気がつき、慌てて手を離す。
「もっと続きをしたいけど、今日はここまでにしておくよ。また寝不足になっても可哀想だからね」
 と言って佐奈の頬を撫でる麻野の表情は、やはりいつもと変わらない穏やかな微笑みだった。