Man and Woman

エキセントリック

06.

 

 夏休みの間はまったく大学に行かないのかと思っていたけど、他大学の先生が来る特別講義や短期間の集中講義などもあって、それに付随するレポート提出などもあり、思ったよりそう暇でもないという印象だ。
 一人暮らしの私にとっては、コンビニの食事よりも安く種類も豊富なので大学の食堂をよく使うこともあり、昼間は大学に行くことも多かった。
 そして花岡朔もそうなのだろう。
 図書館や食堂で見かけることもあったけれど、相変わらずイヤホンをずっと耳に入れたまま、他の誰かと話している姿は見たことがなかった。
 私も、今までと同じように花岡朔に話しかけることもなかった。
 自分のことを理解するのは自分以外にいない。
 彼のことは彼にしか理解できないし、彼も他人に理解してもらおうなんて思っていないんだろう。
 そこでふと気づく。
「わたし、なんであの人のこと考えてるんだろ」
 朝、目が覚めてぼんやりした頭で考えていた。
 ……不思議だ。
 今まで感じたことのない感情が胸の奥にくすぶる。
 これはなんだろう。
 だけど今なら気がつかなかったことにできる。
 そう思ってそのことを考えるのはやめた。


 下宿タイプのマンションで光熱費も一律料金なのをいいことにエアコンをしっかり効かせた部屋から、一歩外に出て
「あっつ……」
 と思わず声に出してしまうほどの朝。
 生まれ育った町では夏は霧が出やすくて、湿度はあってもひんやりとした日が多かった。
 じりじりと照りつく太陽を、手をかざして見上げた。
 雲一つない真っ青な空。
 部屋を出るときには日除けのために羽織っていたチェックのシャツをすぐに脱いで、タンクトップのワンピースの腰に巻きつけて結ぶ。
 この気温では日除けよりも少しでも涼しくなる方を優先したい。
 信号待ちの間にリュックから日焼け止めを出して腕に塗った。
 歩きながらゴムで髪を無造作にまとめる。
「つむじゃん、おはよー」
 地下鉄の出入り口がある交差点を渡っているときに後ろからトンと背中を叩かれた。
「あ、おはよー」
 振り向くと美結の笑顔があった。
「暑いねー」
 美結は背中まであるロングヘアを耳の後ろでふたつに結んでいる。
 ノースリーブの白いブラウスとショートパンツの服装も女の子らしい美結に似合っている。
「札幌っていつもこんなに暑いの?」
 街路樹の影に出入りしなから歩く。
 ビルの間は少し風が吹くけど、熱風以外のなにものでもない。
「つむは釧路の方だっけ? そっちよりはやっぱり暑いかもねぇ」
 釧路とは違う小さな町ではあるけど、町名と『釧路の方』と言っておけば、だいたいはそれ以上聞いてこない。
 そんなものだ。
「うん、たまに暑い日もあるけどさー」
「そうなんだー? 天気予報でにわか雨って言ってたけど、ほんとかなぁ」
「えー? 全然、そんな感じじゃないよね」
 見上げてもやっぱり雲なんてない。
「ねぇ、つむ。話変わるけどさ」
「うん?」
「一人暮らしどう? さみしくなったりしない?」
「あー、わたしはそんなでもないかなぁ」
 人によってはホームシックになることもあるみたいだし、夏休みに入ってすぐに実家に帰ったクラスメイトもいた。
「なんともないならいいんだ。変なこと言ってごめん」
「ううん、全然」
 大学構内に入って、講義棟までまだ歩く。
「あ、あの人、なんだっけ」
 反対側から歩いてくるのは、花岡朔だ。
「花岡朔」
「そうそう、それだ。相変わらずだね、あの人」
 結局、美結は花岡朔のことを『あの人』と呼ぶ。
 彼は変わらずイヤホンをしてうつむき加減で歩いていた。
「同じ授業かな」
「そうじゃないかな」
「つむ、しゃべったことあるんだよね? どんな人?」
「ええー、なんか、……変わってる、かな」
 簡単な言葉で言えば、やっぱり『変わってる人』と言うのが一番手っ取り早い。
「それはみんなそう思ってるよぉ」
「だよねぇ」
「なんでいつもひとりなんだろ」
「うーん」
 彼の『ひとりは自由だ』という言葉を説明しようとして、やめた。
 彼のことは彼にしかわからない。
「……ま、いっか」
 美結が肩をすくめて笑う。
「うん」
 なんだかんだと話題にすることもあるけど、基本的にはみんな他の人に無関心なんだ。
 だけど、お互いに深追いしないことが居心地がいいと思うことも多い。
「あとでさ、スタバ行こうよ。新しいフラペチーノ飲みたい」
「あ、いいね!」
 新商品が出たという情報はSNSで見た。
「あれ、でもつむってバイト辞めたんだっけ? お小遣い大丈夫なの?」
「うん、少しの間だけって約束で仕送り増やしてもらったよー」
 結局あのあと何度かバイトに行ったけれど、私の顔を見てビクビクしている叶野さんを見ていたら、呆れるのを通り越して気の毒になってしまって、辞めてしまった。
 美結にも和可菜にも、叶野さんとのことは言ってなかったから、ただ勉強と両立するのが難しかったとだけ話した。
 次のバイトを探さなくちゃいけないけど、勉強で忙しいとか言い訳をして親に甘えてしまっている。
「それなら良かったじゃん」
 今日は美結とは違う講義だから、講義棟の中で別れる。
「あとでね。会えなかったらライン入れるわ」
「わかったー」
 小さく手を振って別々の講義室に入った。
 講義室に入ってぐるっと見回して、花岡朔がいるかどうか確認する。
 今日はいないようだ。
 クラスメイトとは言っても美結と同じでいつも一緒の講義とは限らない。
 適当な位置の席に座って、テキストやノートを机の上に準備して一息ついたところで先生が入ってきた。


 講義は少し眠たくなった時間もあるけど、なんとか昼まで持ちこたえて、今日の講義が終わった。
 講義室を出ると、ちょうど隣の部屋の講義も終わったところで、少し疲れた顔をした美結と、その何人か後ろに花岡朔の顔が見えた。
「おつかれー」
 私は美結に声をかけたけど、目は花岡朔を追っていた。
 いつもどおりのイヤホン。
 私の声は聞こえていない。
 私のことなんか目にも入っていないようだ。
「あ、おつかれー。てか、疲れた。眠かった」
 美結が大きなため息をつく。
「わたしもー。ごはんどうする? 食べてから出かける?」
「うん、お弁当持ってきちゃったんだ」
 実家住まいの美結はほとんど毎日お弁当を持ってきていた。
「じゃ、食堂行こうか。わたしはなんか買う」
 空調の効いた講義棟から外に出ると、
「あっつ!」
 と思わずふたりで声に出してしまうくらいの暑さ。
 その後ろから花岡朔が通り過ぎて行った。
 図書館の方向へ歩いていく背中を視界の端で見送って、ギラギラとした太陽の下を美結と食堂に向かった。


 昼食を済ませて、大学から歩いて札幌駅の商業施設に向かう。
 ビルの間から、遠くに入道雲が出ているのが見えた。
「和可菜も呼ぶか」
「バイトじゃなかったっけ?」
 夏休みの子ども向けイベントのバイトに行くという話をしていた気がした。
 一週間は休みなく仕事だったはずだ。
「そうだったねー。今日はフラペチーノ美味しいだろうね」
「ほんと、もう汗出てくる」
 駅構内に入ればそれなりに暑さはしのげるだろうけど、そこまではもう少し歩かなければならない。
「和可菜は学校の先生になりたいって言ってたよね」
 ふと思い出して口に出してみた。
「そうそう、それなら教育大だったんじゃないのかなって思ったけどね」
 と、美結は苦笑いするけど、本気でそう思っているわけでもない。
「でもそういう具体的な目標あるのは、いいな」
「つむはないの?」
「とりあえず大学って感じで……いや、勉強はいっぱいしたけど。でも大学から先のこと考えてなかったなぁ」
 数学が少し苦手だったから文系で、『北海道で一番いい大学』を目標にして勉強していたら、運も良かったのか合格できた。
「あー、あたしもだよぉ」
 と美結が笑う。
「でもちゃんと考えておかないと、就職とか困りそうじゃない?」
 サークルや部活に入っていない私たちには、上の学年の人と接する機会はあまりなく、就職活動というものもまだ具体的にどういうものなのかもよくわからない。
「そだねぇ」
 と返事をしたとき、ぽちりと頭の上に何か小さなものが当たる感触がして、空を見上げた。