Man and Woman

エキセントリック

08.

 

 どうしてか胸が苦しくて、左手でまだ濡れたままのワンピースの胸元をぎゅっと握った。
「俺はあんたに興味ないし、仮にあんたと俺とつきあったって上手くいくはずない」
 こんなに私を拒絶する言葉を並べるのに、こんなに近くにいるのはどうしてだろう。
「そんなの、わかんないじゃん。答えなんかまだない」
 生きていくのに、正解と間違いがあるのだとしたら、今の私はどっちなんだろう。
 それなりに一生懸命に勉強して、北海道では誰もが知っている大学に入った。
 だいたいの人はそれで正解と言うのかもしれないけど、まだ努力すれば東京の大学も行けたとか、高卒で地元で就職して早くに結婚するのが幸せだったとか、あるかもしれない。
 実際、親はまだ「大学なんて行ったって何になるのか」と思っているようだし。
 そんな仮定なんて考えてたらキリがない。
 だけど、正解を決めてしまいたくもない。
「わかんないことを知りたいんだ、わたし」
「あんたほんと、……変なやつ」
 ふわりとやわらかな唇が触れて、重なる。
 目を閉じて、その感触だけを確かめる。
 ただ触れるだけのキスが、今までではじめてのキスのようだった。
 心臓が高鳴り頬が紅潮していくのがわかる。
 雨に濡れて冷えた頬に、まだこぼれる涙があたたかく感じた。
「……なんで、キスしたの」
 そっと目を開けると、相変わらずの仏頂面がいる。
「あんたを黙らせるため」
「そんなにおしゃべりじゃないよ」
「黙れよ」
 と、もう一度唇が触れ合って、重なって、もっとほしいと思う。
 手を伸ばして彼の首元を引き寄せると、深いキスに変わる。
 何度となく角度を変えながら、お互いを求めた。
 唇が離れたときには、息が上がっていた。
「……信じらんない」
 私は胸を上下させて、ため息をついた。
「何が」
 花岡朔はほとんど表情を変えずに、小さく首をかしげる。
「絶対、はじめてじゃないよね?」
 今までの……前の彼としたキスなんてなんだったんだと思うくらいに、頭の中がとろけてしまいそうなキスだった。
「……そんなの、知らないままにしとけよ」
 そっと細まった瞳は、はじめて見る柔らかな表情だった。
「そんな顔するんだ」
「どんな顔?」
「なんか……やさしい顔」
「そうか?」
 と、またいつもの仏頂面に戻る。
 それでも鼻先が触れあうくらいの至近距離は変わらない。
「ねぇ」
「何」
「……きみのこと、全然知らないけど」
「それなのにこんなことしてるの変だと思わない?」
 彼の手が肩に触れて、掴む。
 そこから二の腕をそっと撫でた。
 雨に濡れて冷えた身体に彼の乾いた手は暖かい。
「変だよ。だけど」
「だけど、……変なやつだし、うっとうしいし、めんどくさい。だけど、……目が離せない」
「……それ、わたしのこと?」
「あんたがそう思ってるかもって」
「そんなの、きみが自意識過剰なんじゃない?」
「……変なやつ」
 がまんできずに首を伸ばして唇を重ねた。
 彼のぬくもりやキスをほしいと思う。
 自分の中にそんな欲望があるなんて知らなかった。
 前の時はただあの人の好きそうな女の子を演じてみせてただけだった。
 そんなのと全然違う。
 この感情が恋とか愛とかなのか、はっきりとはわからない。
 ただの性欲だと言われたらそれまでかもしれない。
 唇を少しだけ離した。
「……でも、きみがいい」
 花岡朔に対して湧き上がるような感情は、今まで感じたことのないものだ。
 また唇が重なる。
 彼に対してだけ、こんなにコントロールもできない身体の深いところから熱くなるような感覚になる。
 唇を触れあわせたまま、
「あんた、バカかよ」
 と言葉とは裏腹に、彼はやさしい穏やかな声でささやく。
「バカみたいって思ってるよ。でも」
「……止まんない」
 止まらない。
 あふれ出るこの感情も、その感情に突き動かされるこの行為も。
 肩にかけていた彼の手が首元に触れて、頬に触れる。
「俺もバカだな」
 耳元に指先で触れて、耳たぶをなぞる。
 私の髪をかきあげて耳にかけて、首筋にそって降りていく。
 タンクトップの肩に指先をかけて、少しためらうように撫でてから、そこをゆっくりと下げた。
 ブラトップのタンクトップワンピースだから、簡単に胸元があらわになる。
「あ……」
 胸元を彼に見られているというだけで、ふわふわとめまいがして身体の奥深い部分の温度が上がる気がした。
 そこを指先がやさしく滑り、私を溶かしていく。
「んん……」
「もう感じてんの」
「だって、きみが、そんな」
 言葉の隙間で唇が重なるから、とぎれとぎれになってしまう。
「……朔」
「え?」
「名前、教えただろ」
「じゃ、わたしのことも、『あんた』じゃなくて」
 唇を離して少し沈黙してから、
「……つむ」
 と微かな声でささやく。
「……やばい、それ」
 いきなり親しい人しか呼ばない呼び方をするのは、反則だと思う。
 そしてその瞬間に朔の手が私の乳房をつかんで揉んだ。
「あっ、あっ……」
 思わず鼻にかかったような甘えた声が漏れたけど、わざとらしく大きな声にすることはしなかった。
 そんな演技なんてする余裕もなかった。
 朔は指先で胸の先端をつまみ、軽く引っ張ったり爪の先でひっかく。
「や、あ…っ……」
 両手でぎゅっと乳房を包んでつかむけど、力加減はやさしい。
 こんな部屋といえるほどの広さもない小さな小さな箱のようなスペースで、ほんとはもっと落ち着いてベッドなんかでしたいことだけど、でも、今がいい。
「ねぇ」
「んっ」
「ここでいいの?」
 と、朔は私が考えてたことと同じことを聞く。
 このスペースを使いたい誰かが来て見られてしまうことも考えられる。
 それでも。
「いい。……やだ?」
「ほんとは、やだ」
「でも、今じゃなきゃ」
「……今」
 朔の手が腰を伝って、床にぺたんと座っている私のおしりと腿を撫でる。
「今、……ほしい」
 かすれた声が耳の中で響く。
 私の膝の間に朔の膝が割り込んで、膝裏に手を入れて私の膝を立てた。
 そしてスカートの中に朔の指先が滑っていく。
「ん、あ…っ……」
 ショーツに触れて、少し笑う。
「や、なに?」
「全部濡れててよくわかんない」
 さっきのどしゃぶり雨で、下着までぐっしょりと濡れていた。
「……中、いい?」
「ん、……いい。っあ……!」
 返事をしたとたん、ショーツの中に朔の指が入り込む。
「これは、雨のせい?」
 指先を割れ目に沿って滑らせて、そこはすぐにぬるぬるとした感触に変わる。
「ちが……朔が、……ああっ……」
 入り口あたりを中指の腹でやさしく撫でられて、でもその奥がもっと触れてほしくて痛いくらいに感じたとき、朔の指先がその中へと挿し込まれる。
「やば……いく、かも」
 ぞくりとする感覚は、こわいわけじゃない。
「マジ? 早くね?」
 と言いながら、朔の指先は私の奥を探り、刺激する。
「だって、朔が……朔…っ……!」
 私の中でうごめく指が、自分でも知らなかったある場所を探り当てた。
 その瞬間悲鳴のような声を上げてしまう。
「やだやだ、いっちゃう…っ……いくぅ……!」
 目をぎゅっと閉じて首をいやいやと左右に振っても、波にさらわれるように絶頂へと連れて行かれる。
 一瞬のような、長い時間がたったような、時間の感覚がわからなくなる。
 目を開けたとき、涙がこぼれた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない……こんなの、はじめて」
 と息を切らせて首を振ると、朔は少し意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「へぇ」
「あ、悪い顔した。やだ」
 ふいっと横を向くと、その頬を撫でて、軽くつままれる。
「ねぇ」
「ん」
 さっきもこんなふうに言葉をかけあった。
 お互いに同じ言葉を繰り返しながら、心が重なっていくんだろう。
「俺でいいの?」
 前を向き直すと、すぐ目の前でまっすぐに私の目を見つめる朔の瞳に吸い込まれそうな錯覚におちいる。
「うん。……朔じゃなきゃ、やだ」
 二度目の恋のはずなのに、はじめての恋みたいだ。
 朔のTシャツの胸元をぎゅっと握った。
 朔は椅子の上に置いた自分のリュックの中に手を入れて少しごそごそしてから、小さな小袋を取り出す。
「あ、持ってんの?」
「一応、マナー?」
 今までの朔から考えたら、すごく意外だけど。
 朔はちらりとドアを見てから、ジーンズの前を開けて自分に準備をする。
 私はそれを見て自分でショーツを下ろした。
「見せて」
「やぁ……」
「何今さら」
 冷ややかな声でそう言って私の脚を開く。
「朔は、はじめてじゃないんだ?」
 ある程度はわかってるような手つきだ。
 私の問いには鼻で笑って
「あんたもだろ?」
 と返してくるから、私は唇を尖らせるしかない。
「そうだけど」
 朔はそんな私の唇にまたキスをする。
「挿れるよ」
 私の腰を引き寄せて、愛液でとろとろに濡れた場所に彼自身をあてがい、ゆっくりと少し窮屈そうに押し進める。
「あ……すご……深ぁ……」
「きっつ」
「わざとじゃ、ないもん…っ……」
 ギリギリまで引いて、また奥まで押し込む。
 ゆっくりとその動作を繰り返して、身体がなじんでいく。
 こんな狭い場所では体位を変えることも難しいけど、今はそんな愉しみよりも身体を重ねてひとつになることだけで絶頂を感じられる。
「もうだめぇ……あたま、おかしくなっちゃう…っ……」
「もともと、おかしいだろ、つむ」
 力強い抽送を繰り返して、朔の額に汗が浮かんでくる。
「ちが…ぁ……朔の、せい…っ……」
 朔が私を抱き上げて向かい合わせに床を座る形になった。
 私の腰を揺すりながらキスを繰り返す。
 この短い間に何回キスしてるのかわからない。
 最初のキスからほとんどずっと唇を重ねているように思う。
 それでもまだ、もっと重なりあいたい。
 こんな感情は今まで感じたことがない。
「……も、わけ、わかんない」
「俺もだよ。わけわかんない。なんで、こんなことしてんのか」
 肌がこすれあう水気を含んだ音、キスをするお互いを舐め合う音、ふたりの息遣い、私の喘ぎ声、かすかな汗の匂い。
 それら全部がこの小さなスペースの中で私たちを煽情する。
 この小さな箱のような部屋だけが生きている世界のように思えた。
 朔は私を床に寝かせて脚を大きく開き、私に覆いかぶさるような体位で腰を揺する、そのスピードが増していく。
 私の頭はどうしても壁につかえてしまうけど、そんなことも気にならなかった。
「……でも、も、限界」
 深く浅く口づけなから、つぶやく。
「も、だめぇ……また、いく…っ……いっちゃう……っ!」
 私の身体が跳ねた瞬間、
「くっ……!」
 朔も小さく声を上げて、私の奥で動かなくなった。


「は……ティッシュ持ってる?」
 荒い呼吸のまま、朔がつぶやく。
「え? バッグかなり濡れてるから、どうだろ……」
「これ困るんだけど」
 私の中から薄い膜に覆われた彼自身を引き抜く。
「やだ、ゴムは持ってたくせに」
 床に無造作に落としたままだったバッグを引き寄せて数枚だけ残っていたポケットティッシュを取り出して朔に渡す。
「こんなつもりじゃなかったし」
 あと始末をしながら、朔は肩をすくめてため息をついた。
「わたしだってそうだし。……でも」
 朔は乱れた服を直して、立ち上がる。
「……好き、かも?」
「なんで疑問形なのよ」
 私は唇を尖らせながら、朔について立ち上がって服を整えた。
 整えたところでまだ濡れたままなことには変わらない。
 半分脱いだおかげで余計に冷たく感じる。
「あんたがそう言うかと思って」
「あっ、また『あんた』って言うし」
「出よう」
 ドアの小窓から外を覗いてから、ドアノブに手をかけた。
「ちょっと人の話聞こうよ?」
 ドアを開けてこの狭いスペースから出ると、ちょうど人はいないようだった。
「あ、雨やんだ」
 窓の外は、朝と同じ晴れ渡った青空が広がっていた。
 さっきのどしゃ降りが嘘みたいだ。
「私、とりあえず帰るわ。この服じゃどうにもならない」
「だろうな」
 閲覧室まで出ると、何人かの学生が机に向かって勉強したり本を読んだりしていた。
 ちらっと私たちの方を見る人もいるけど、ただ動くものに反応した程度で、関心があるわけではない。
 そこを素通りして階段を降りる。
 外に出ると、まぶしい日差しに思わず手をかざした。
 さっきよりはいくぶんか涼しい風が心地よい雨上がりの匂いを運ぶ。
 自分の目の前の世界がまっさらに洗いあがって、新しい景色に変わったような気がした。
 ふと隣を見ると、朔もまぶしそうに空を見上げていたけど、耳にはいつものイヤホンがない。
「うち来る?」
 と誘うと、呆れたような顔をして、
「……あんたほんと、変なやつ」
 なんて言ってから、やさしげに目を細めた。



END