Man and Woman

birth

 ずいぶん長い間眠っていた気がする。
 時々聴こえるのは、懐かしいやさしい声。



 暗く、あたたかく柔らかい……そこがどこなのかはわからない。
 深く包まれて、僕はまた眠りに落ちていく。









 そのとき、自分に何が起こっているのかはわからなかった。
 でももう、ここから出て行かなければならない。
 それだけは確かだった。

 もがこうとするけれど体が動かない。
 どうしたらいいのかもわからない。
 それでも僕は細い糸を手繰るように必死に出口をめざす。


 突然、目の前が真っ白に変わる。
 今まで経験したことのない明るさに、僕は耐え切れずに目を閉じる。
 目を閉じる前のほんの一瞬、彼女の顔が見えた。


 ああ、僕は帰ってきたんだ。

 そう安堵しながら、彼女の腕の中で僕はまた眠った。









 どれだけ彼女を困らせてしまうのだろう。
 どうして僕は何もできないのだろう。
 彼女を困らせたくはないのに。
 何もできない自分が悔しくて涙が出る。

 それなのに彼女はやさしく僕を抱きしめる。



 抱きしめて抱き上げて……そう、僕は小さな子どもだ。
 今は彼女の……彼女が産んだ小さな子どもなんだ。





 そして僕はそれまでの全てを少しずつ忘れていく。
 彼女を困らせたことも、自分が思い通りに動けなくて悔しくて泣いたことも。
 少しずつ、僕は『僕』として、歩き始める。












 僕の母は、同級生の母親に比べると少し年上……悪く言えば『おばちゃん』だった。
 年齢の割りに若く見えるとは思うけれど、同級生の親の年を聞くと、やはりちょっと違う。
 そんなに気にするようなことでもないから、今までなんとも思っていなかった。

「お母さん」
「どうしたの?」
「……お母さんってさ、俺のこと産んだのってけっこう年だったんでしょ?」
 高齢出産というのは母子ともにさまざまな危険があるというのをテレビでちらっと見たことがある。
 それでも産もうと思ったのはどうしてだろう。
 ふと思いついた疑問だった。
「んー…まあ、そうねえ。ちょっとだけね」
 と笑う。
「別に、だから何ってわけでもないけど……」
 聞いたらマズいことだったかな、と思いなおして母の側から離れかけたとき、母が話を続けた。
「お母さん、お父さんと結婚するの遅かったから」
 笑顔で言葉を続けるから、とりあえず軽い調子で合わせてみる。
「なに? モテなかった?」
「失礼ねえ。そんなこともないわよ」
 ふくれたような表情をして僕を睨む。
 そういう顔をするのが、やや若く見えるところなのかもしれない。
「じゃあなんでさ?」
「お母さんねえ、お父さんと結婚するずーっと前に、結婚しようと思ってた人がいたの」
「へえ……」
 そんな話初めて聞いた。
 いや、子どもに言うようなことでもないか。
「でもね、その人病気になっちゃって……結婚する前に死んじゃったの」
 その言葉に、僕は何も言えなかった。
「私、もう生きていけないって本気で思ったけど……そういうときに、その人の友達だったお父さんが支えてくれたのね」
 父と母は大学の同期だという話は聞いたことがあった。
 きっとその人も同じなのかもしれない。
「でも、すぐにどうこうってことはなくて……お父さんと結婚しようってことになったのはそれからずいぶん経ってからなのよ」
「……そうなんだ……」
「それで、あなたを産む時にはちょっと平均よりは年だったかな。…お父さんはすごーく心配してたわ、心配性だから」
「ああ、なんか想像できる」
 そう返事をすると、母は面白そうにくすくすと笑った。

 父が母をとても大切にしているということは見ていてよくわかる。
 母だけではない、僕のこともとても大切に想ってくれているのは、わかってる。
 母も同じだ。
 僕はそんな父と母が好きだった。

「…お母さん」
「なあに?」
「今幸せ?」
「うん。幸せよ」
 そう言って笑う母がきれいだと思った。




END

2006/04/10