Man and Woman

FLOWER GIRL

 高校三年間、片想いでもいいや、って思ってた。
 今でも、そう思ってる。



「ちょっとー、なずなったらまたコクられたの断ったんだってー」
 杏子がきゃあきゃあと騒ぐ。
 朝から元気な子ね。
「え、誰にコクられたの?」
 るりは自分のことはあんまり言わないくせに、人のことになると楽しそうに聞いてくるから困ったものだわ。
「えー、三組の高橋くん……」
「うっそー、あの人けっこうカッコイイのにー。もったいなーいっ」
「でも、なずなには好きな人がいるんだもんねー。しょうがないかー」
「そうよ、しょうがないのよっ」
 しょうがない。
 だって、あんなにステキな人、きっとどこにもいないもの。
「……数準行ってくるわ」
 数学のノートを手に、立ち上がる。
「ハイハイ、ごくろうさまデス」
 るりがニコニコと手を振る。
 あの子には最近一年生の彼氏ができたばっかりだ。
 露骨には見せないけど、けっこうイイ感じに仲良くやってるみたいだった。
 杏子のほうは、惚れっぽいけど飽きやすい体質らしくて、全然長続きしないみたい。

 そして、あたし。


「先生」
「ああ、内川か。おはよう」
 三年になってから、数学の問題集をやっては、石田先生に見てもらってる。
 ……一年のときに一目ぼれして以来、なにかと理由をつけては先生のところに行っていた。
 石田先生は三十五歳。
 ちょっと渋くて、大人の男って感じだ。
 そして、左手の薬指には、リング。
 ……くやしい。
 指輪なんか学校にしてこなきゃいいのにって、心の中で舌打ちする。
「……おはようございます」
「今日も、やってきたか?」
「はい。……今日のところ、むずかしくってあんまりできなかったけど……」
「あとで見ておくから、机に置いておいてくれないか? これから会議なんだ」
「あ、はい、わかりました」
 先生は、あたしのことなんかただの一生徒でしかなくって、ただちょっと数学だけは熱心にやってるな、くらいでしかないんだと思う。
 それでも、あたしはかまわなかった。
 ただほんのちょっとだけ、他の人より先生との接点があればいいって思ってた。

「なずなって意外と一途だよねえ」
 なんて言われる。
「意外ってちょっと失礼じゃないの?」
「でもだってさあ。ちょっと珍しいよねー」
「いや、杏子がふらふらしすぎって気もするけど」
「るりー、ちょっとそれヒドくない!?」
 あたしたちの話題といえば、コスメの話、ファッション誌で見た服の話、受験の話も少し。
 そして恋の話。
 そんな話をいつまでもしていられる年頃だ。
 もう3年の秋で、進路もほとんどの人が決めていて、もちろんあたしも大学受験することにしてて。
 受験勉強をしてると、やっぱり卒業を意識してくるし。
 あと少しで、先生には会えなくなる。
「コクっちゃえば、意外と相手してくれるかもよ?」
 キョウコなんかは簡単にこんなふうに言うけど。
「そういうタイプじゃないしょ」
「そうだよねー。あの人、奥さん大事なんでしょ?」
「……うん」
 そうなのだ。
 結婚して八年になる奥さんがいる。
 子供がいない分、奥さんが大事らしくて、仲がいいみたい。
 ちょこっとだけ、奥さんのことを聞いたら、なんだかうれしそうにしてたことがある。
 ……なんか思い出したらムカついてきたわ。
「あたし別に、人んちの家庭を壊したいワケじゃないし」
 と、強がってみる。
「家庭ったって、奥さんだけでしょ」
「奥さんと犬」
「……犬って……」
「奥さんよりも若いコのほうが良さそうだけどー?」
「先生はそーゆータイプの人じゃないもんっ。いいのっ。とにかくあたしはそんな気はさらさらないのよ」
「まあ、そりゃ相手は三十五の既婚者じゃむずかしいしねえ。今のままのほうがいいよね」
 と、るりが言う。
 今のまま、他の生徒よりはちょっぴりだけ、近いトコロにいるだけでいいの。


 毎日、数学準備室に通って、問題集の添削をしてもらって、それでもわからなかった所を教えてもらって。
 数学はあまり得意じゃなかったし、文系だったけど、少しずつ模試の点数も上がっていた。
「先生っ。こないだの模試、88点でしたっ」
「お、すごいな。前はあんなだったんだがなあ」
「あんなってヒドイー。そりゃあ、追試常連だったけど……」
「内川、がんばってるからな。よくやってるよ」
 って、誉められると、なんとなくうれしくなっちゃう。
 あたしって単純ですか。

「でも、全然付き合えないような相手なんてさ、そんなの好きになってもいいことないじゃん」
 なんて、るりは他人事のように言うけど。
「そうなんだよねー。つまんなくない?」
 杏子も、そんなふうに言うけど。
 昼休み、お弁当のあとにお菓子を食べながら教室でしゃべっていた。
 女子はだいたい数人ずつのグループに分かれてお弁当を食べたりおしゃべりしたり。
 話題なんかはきっとみんなたいした変わらないけど、話せる相手とそうでない相手って、みんなそれぞれ違うの。
「いいこと……ないけど」
「そしたらコクられた人とつきあってみてもいいじゃん。つきあってみてから好きになれるかもしれないし?」
 そういうコトもあるかもしれないけど。
「でも、できないな、あたしは」
「……まあ、そっか」
 るりはちょっと肩をすくめて、ポッキーを口に入れた。
「なずなってけっこうマジメだもんねえ」
 と、笑う。
「まあ、マジメとは言い切れないけど、あんたほどは遊べないわ……」
「うっわ、それヒドくないっ!?」
 ひどいひどい言いながら、げらげら笑って。
「そういえば杏子は?」
「あー、昨日できた彼氏と学食にいると思うけど」
「昨日からだよね……あれ何人目?」
「んー…3年になってからなら……8人目?」
「前のと別れてから何日だっけ?」
「……1週間くらい?」
「アレほど簡単に男を好きになったりする人もめずらしいと思うわ……」
「でもアレで毎回本気で好きなんだからスゴイよね……」
「あれ? るりはそうでもなかったんだ」
「あー…相手によるかも……あはは」
 三人それぞれ全然違うの。
 あたしは、気持ちを切り替えるのが下手なんだと思う。
 昨日までとは別の人を、好きになれたらきっと楽なのに。



 放課後には、ノートを取りに数学準備室へ行く。
「先生、もうできてます?」
「ああ、今日の分は完璧だな。ちゃんとできてたよ」
「え、ホント? よかったー」
 先生の顔を見るだけでドキドキする。
 どうして、こんなに好きになっちゃったんだろうって思う。
 代わりになれる人なんかいなくて。
 少しでも近くにいたくて。
「あ、でも、ココ、よくわかんなかったんですけど」
 なんて、ちゃんとわかってたのに、時間を延ばすために質問なんかしてみる。
「ああ、それか。それは昨日やったところの応用だから……」
 と、紙に書き出した数字の列さえも、あたしの胸を苦しくさせる。
 言っちゃったら楽になれるんだろうか。
 好きですって言えたら、なにか変わるんだろうか。
「……と、答えがこれ。いいかい?」
「あ、うん、ハイ」
 上の空で解説を聞いてた。
 先生の声を漏らさないだけでせいいっぱいで、内容は二の次になっちゃう。
「……あの、先生……」
 好きです。と喉まで出かかったとき、数学準備室の電話が鳴った。


 数準にはあたしと先生しかいなかったから、必然的に先生が電話に出なくちゃならなくて。
「ああ、ちょっと待ってて」
 とあたしに言って、電話に出る。
「はい、数学準備室です。……はい、ああ…うん。いいよ。……うん、わかった。じゃあ」
 先生に、電話だったみたいだけど、…すぐに切れた。
「先生に電話?」
「ああ、うん、奥さんから」
 と、少し笑った。
「なんか用事あるらしくて、もうお迎えにくるって」
「はあ…そうっすか……」
 こんな言い方しかできない。こういうときってなんて言えばいいんだろう。
「で、三浦、なんか言いかけてなかったか?」
「あ、ううん。なんでもない…です。ありがとうございました」
「ああ、また明日な」
「ハイ…さよなら」
 ペコリと頭を下げて数準を出る。

 先生は車は持ってるけど、奥さんも車を使うからって、朝と帰りは奥さんの送り迎えで学校に来てて。
 今日は帰るのちょっと早いかも。
 そんなのも、ずっと前から知ってたし、見てたし、別に構わなかった。
 あたしが勝手に好きになってるだけだし、先生はあたしのこと、……なんとも思ってないんだし。
 それも、わかってた。
 わかってるつもりだった。
 だから、コクったりしたって、意味がないって。
 振り向いてもらえることなんかないってわかってた。

「あれ…るり、まだいたの?」
 教室に戻ると、るりがひとりで勉強してた。
「あー、うん、今日1年、球技大会で……。まだやってるみたいなの」
「へえ、羽鳥クン、何に出てるの?」
「バスケって言ってたなあ。今ごろ決勝だと思うわ」
「スゴイじゃん、羽鳥クン上手いんだ」
「さあー、見たことないからわかんないけどー」
「見に行かないの?」
「えー、別に…それより……どーしたの?」
「なに?」
「なずな……なんかヘンな顔してる」
「ヘンって何ー?」
「なんか…わかんないけど、なんかあった?」
「別に…何も……先生のトコロに奥さんから電話があって…もう帰るって……生徒より早く帰る教師ってイイのかー? って……」
 急に涙がぽろぽろとこぼれてきた。
「なずな……」
「や…やだな、もー……別に、たいしたコトじゃない…のに……」
 わかってたコトでも、目の当たりにすると全然その大きさが違うんだって、はじめて知った。
 頭で理解してるのと全然感じ方が違う。
 ……告白して、先生の家庭を壊したくないとかそういうのじゃなくって、ただ、振り向いてもらえないのをわかってたから、それが怖かったから、今までなんにも言わなかったんだ。
 そしてきっと、これからも。
 なんにも言えないけど、きっとずっと、先生のことが好きなんだと思う。
 るりは心配そうな顔であたしの頭をちょっとなでた。
 こういうときに、下手なこと言わないのが、この子のいいトコロだと思う。
「あーっ、ふたりともいたのっ!? ちょっと聞いてよっ! もーっ」
 突然、教室のドアが勢いよく開いて、杏子が入ってくる。
「えっヤダ、なずなどーしたのっ!?」
「杏子ってばホント、タイミング悪い女だよね……」
 って、るりがあきれたように言うから、なんだか笑えてきちゃった。
「なんでもないよーだ」
「えーっヤダけち! 教えてよーっ。なんで泣いてるのよーっ!?」
「ナイショー」
「ねー」
 あたしたちは、きっとまだこれからも、こんなふうに、泣いたり怒ったり笑ったりして、ときどき誰かに恋をしたりして、生きてくんだと思った。




END

2002/07/21