Man and Woman

OOPS!

09. 恋ト、ケイヤク。

 信じるとか信じないとか。
 そんなこと以前に、この関係は契約でしかないし。

 莉音は相変わらず、毎日僕のそばでのんびりと過ごしている。
 ……それに比べて僕は、なんだか悶々としている。
 この前、街で美和子さんに会ったことで、思い出したことがあった。
 莉音が僕のそばにいるのは、なんてことはない、ただ僕と契約したからだということ。
 交換条件で出された、ただの契約。
 ……恋愛感情でもなんでもなかったんだ。

 ……いつまで、こうやっているつもりなんだろうか。
 いつまでもとか、そんな訳はないじゃん、と思う。
 僕だってたぶん、…祖父と同じく、いつか誰かと結婚するんだ。
 そうしたら、そのときは………莉音は、悲しむんだろうか。
 ……そもそも、悲しいとか、そういう感情を持ち合わせてるんだろうか?
 だって悪魔だろう?
 でも、祖父との話をしたときに流した涙は、本物だったと思うし。
 そのあと、僕に名前を呼ばれてうれしかったって言ってたっけ。
 そういうのはどんな気持ちで言ってたんだろう。
 セックスするのだって、どんな気持ちで僕と抱き合ってたんだろう。
 莉音にとっては、栄養の補給でもあるし、……それだけのつもりだったとしたら?
 ……僕は何を信じたらいいんだろう。

 そんなことを考え込んでいたときだった。
「かーずーまーくんっ」
 いつもと同じく、診療所で莉音が後ろから抱きついてくる。
 背中に当たる柔らかい胸が、今日はなんだか僕をいら立たせた。
 ……八つ当たりだって、頭のどこかではわかっていた。
「……何?」
「なんでもなーい。抱っこしたかっただけ」
 耳元で笑う声に、胸が苦しくなる。
「……お前、いつまでここにいるつもりだよ?」
 言わなくてもいい言葉が、次々に思い浮かんで口に出ていく。
「ん? いつまでかなあ。いられるだけいるよ」
「契約では何も言わなかったからな」
「契約というか、気が向いたからというか。一真クンじゃなかったら、どうしただろうなー」
 くすくす笑う声が、いつもなら耳に心地よく聞こえるのに。
「でも帰りたくなかったから、あんなふうに言ったんだろう?」
「まあね」
「……それだけだろ?」
「……一真クン?」
 くっついていた体が少し離れる。
「帰りたくなかったから契約して、契約したからココにいるだけだろ?」
 体の向きを変えて、莉音のほうを見た。
 莉音は不思議そうな顔をして、僕を見ている。
「……最初はそうだったけど。でも一真クンのこと、好きだし」
 莉音の言う好きって、どんなんだろう。
 僕は、莉音の顔が見られなかった。
 莉音から目をそらして、それでも言葉が止められない。
「それは、俺がお前といても平気な体質だからだろ?」
「そんなことないよ?なんでそんなこと……」
「なんでって、なんだよ?」
 なんで僕はこんなことをうだうだと言ってるんだろう?
 わざわざ莉音を傷つけるようなこと言わなくたっていいのに。
 そんなふうに頭の一部では考えていた。
「なんでったらなんでよ。どうでもいいじゃん、そんなこと」
「よくないだろ」
 もうなんだかお互いに何を言ってるのかさえよくわからなくなっていた。
 こういうのが痴話ゲンカって言うんだろうかなんて、冷静に考えてる部分もあったのに。
「一真クン、あたしが一緒にいたって平気だったし、だから契約しようって言ったんだけど。でもちょっといいなって思ったんだし、そう思わなかったらこんなに一緒にいないもん」
 そう言って莉音はうつむいた。
「一真クンだって、……一真クンだってわかんないじゃん。……だって、いつか誰かとお見合いして、結婚しちゃったりするんだし」
 今日は髪を下ろしているから、うつむいたらもう、どんな表情をしてるのかよくわからない。
「…ああ、そうだろうな。わかってるんだったら……」
 だからそういう返事をするな、自分。
「わかってるよ! でも…っ、………もういい」
「何が?」
「もういいっ! 一真クンなんかキライ!!」
 その言葉にはっとして莉音の顔を見たら、莉音は顔を上げて僕をにらんでいた。
 その目にはいっぱい涙をためて、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
 しまったと思った瞬間、莉音の姿が消えてしまった。
「莉音…っ……」
 もう、気配も感じられない。
 莉音が僕のそばからいなくなってしまった。

いつまでとか、何が本当かとか、……本当はそんなことどうでもよかったんだ。
 好きだっていう莉音の言葉をそのまま素直に受け止めていればそれでよかったのに。
 それでもやっぱり確実な何かが欲しかったんだ。
 ……でも僕はちゃんと自分の求めるものを求めることができないで、……自分の気持ちすら莉音に伝えることもしないで、いらないことばかり莉音に言ってしまった。
 言ってから後悔するなら、言わなきゃいいのに。
 自分でもそうわかってるけど、……後悔先に立たず。
「あー……、俺、何やってんだろ……」
 椅子の背もたれにもたれかかって、頭を抱えた。

 後悔したって、莉音はいなくなってしまった。
 ごめんって謝りたくても、伝えることができない。
 ……好きだって言いたくても、言えなくなってしまった。

 夕方、自宅にひとりで戻った。
「あれ? 莉音ちゃんは?」
 当然のように真子に聞かれる。
「……いなくなった。帰った、かな」
「なにそれ?」
「いや……」
「あー、なんかケンカでもした?」
 なんでコイツはこういうことに関しては勘が鋭いんだろう。
 普通に「ああ帰ったんだ」とは思わないんだろうか。
 ていうか、女ってそうだよな。
 僕は、あまりそういうことには頭が回らないほうなのかもしれない。
「………うん……」
「お兄ちゃん、何やってんのよ」
 呆れたような口調で真子がまくし立てる。
「何って、別に……」
「あー、なんかお兄ちゃんがいらないコト言うとかしたんでしょ?」
「……うるせー」
「あーあ、莉音ちゃんかわいかったし、…莉音ちゃん、お兄ちゃんのことすごく好きだったのに」
「……なんだよそれ」
「見てればわかるよ、それくらい」
 そうか?
「お兄ちゃん鈍くさいからなあ」
「うるせーよ」
 真子の言うことに、うまく言い返すことができなかった。

 鈍くさいっていうのは、ちょっと当たってる。
 女ってのはどうもよくわからない。
 僕の何が良くて付き合うのかとか、ふたりでいるときにどうしたら楽しいのかとか。
 それなりにいろいろ考えるけど、それがかえってよくなかったりして。
 ……いや、今回は何も考えてなかったんだけど。
 でも、なんで莉音はあんなふうに、僕にべったりくっついていたのかわからなかったから、……つい、あんなことを言ってしまったんだ。


 夕食も上の空で、自分の部屋にこもった。
 今日はひさしぶりにベッドで寝られる。
 もう布団の上げ下ろしをする必要もないんだ。
 気を使うことなく自由に外出することもできる。
 気楽でいいじゃないか。
 そう自分に言い聞かせるけど、なんだか胸にぽかんと穴が開いたような感覚がしてどうしようもない。
 ベッドにうつ伏せになると、ほのかに莉音の甘い香りが残っていた。


神様、僕は取り返しのつかないことをしてしまったのでしょうか……。