Man and Woman

OOPS!

10. カギ

 好きだとか、かわいいとか。
 言えばよかったと思う言葉はありすぎるほど。



 ベッドにうつ伏せになってぼんやりしていたら、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「一真。起きてるか?」
「父さん……何?」
 ドアを開けて親父が入ってきた。
 僕は上半身だけ起こして、親父のほうに向く。
「莉音ちゃんのことで、ちょっとな」
「ああ……別に、勝手に出てっただけだし。なんとも……」
「本当にそう思ってるか?」
「………」
 僕の目を見て話しかけてくるが、僕はその親父の目を見ることができなかった。
 親父は、僕の机の椅子に腰掛けて話し出した。
「あの子がどうしてお前にくっついてたか、わかるか?」
「……悪魔が憑いてても平気な体質だからだろう?」
「本当に、それだけだと思うか?」
「………」
 それは、わからない。
 それだけなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 どこまで本当なのかなんてわからない。
「あの子はな、……まあ、父さんの推測でしかないと言えばそうなんだが、…さみしいんだよ、本当は」
 静かな口調で話す。
「ずっとひとりで生きてきて、たまにこっちに降りてきたところで、憑いた人間はすぐに死んでしまう。うちの家族みたいなのはあの子にとっては貴重な存在だ」
「……うん」
 それはわかってる。
「でも、それだけじゃない。それだけであれば、例えば父さんでもよかったんだ」
「……うん」
「でも、あの子はお前を選んだ。…どうしてだかわかるか?」
「…それがわかんないから、……わかんないんだよ……」
 うつむいて頭を抱えた。
「あの子はお前を好きだって言ってたな。…そういうのは、たぶん理屈じゃないんだよ。特にあの子はああいう、素直な子だ。どこか……本能みたいなものでお前を選んだんだ」
 そんなものが理由でいいんだろうか?
 もっと何か…確実なものはないんだろうか?
 いや、そもそも恋愛感情なんか、確実なものなんかじゃないんだ。
 でも。
「そんなの、…わかんないよ。……あれはただの気まぐれなんだ」
「それは、どうかな。…お前はどうなんだ?」
「…どうって……」
 突然振られると、どう言っていいものかわからないけど。
「あの子のこと、そんなに悪く思ってないんだろう?」
「……うん…まあ……」
 悪く思ってないどころか、好きになってしまったんだけど。
「かわいかったしなあ。なかなかいい子だし」
 なんて言うのを聞いて、チラリと親父の顔を見たら、なんだかニヤニヤ笑って僕を見ていた。

「……って、そんな話をしに来たわけ?」
 思わず今まで黙っていた自分の気持ちなんかを全部言ってしまいそうになったのを、少しいらだったような言い方をすることでごまかす。
「いや、まあそのこともあるんだけどな。……うちの話なんだけど。お前に言ってないことがあってな」
 親父はまた真顔に戻って、話を続けた。
「何?」
「診療所の奥の部屋。お前はまだ見たことないだろう?」
 そう言われたら思い出す程度にしか気にしていなかったが、病院の一番奥にカギのかかった部屋がある。
 本当に小さな、4畳半程度の部屋だったと思うけど。
「物置とかじゃないの?」
「違うんだ。あの部屋はお前のひいじいさんがいたときにしか使ってなかったんだけどな」
 それはずいぶん昔の話だな。
 まあ、あの建物もかなりの古さだ。
 何年も前から、そろそろ改築するべきだろうと言いつつ、いわゆる『予算の都合』でそのままにして、今に至っている。
「……何に使う部屋?」
「儀式だよ。……悪魔を、呼ぶ儀式」

 ……へ?

「……悪魔を呼ぶ?」
 僕は顔を上げて親父の顔を見たが、僕をからかっている様子でもなく、淡々と話を続けていた。
「そう。今は悪魔祓いを仕事にしてるけど、……まあ、ひいじいさんもそれもやってたんだが」
「どういうこと?」
「お前のひいじいさんは、元は魔術師だったんだよ。日本に来て、仕事とするにはお祓いするほうが多くなったから、今に続いてるんだけど」
「…はー……」
「うちの儀式のときの服が黒いのは、その名残だな」
 そうだったのか。
 悪魔祓いの儀式のときの衣装は、一般的には白いものであるそうなのに、我が家のものは黒ずくめだ。
「どちらでも可能なんだよ、うちみたいな体質だと。どっちに転ぶか、……どんなふうにこの能力を使うかは自分次第なんだよ」
 そんなこと、全然知らなかった。
 家のこと、伝え聞いていたことなんかはまだ表面上だけのものだったのか。
「……じゃあ、じいちゃんが、…莉音とつきあえなくなったのは?」
「それはあまり詳しく聞いてないけどなあ。日本では教会内での仕事なんかも引き受けることになったし、その兼ね合いからだろうかと思うけれどな」
 うちは自宅内に教会を開かずに、大きな教会で神父の仕事を引き受けている。
 その中には、うちの家族のようなかなりアバウトなものの考え方の人間もいるし、逆に先日の美和子さんのような人間もいる。
 悪魔は完全に『悪』であり存在することは許されないと考えるのは、僕は少し極端ではないかとは思っていた。
 それはやはり幼い頃からの経験や、両親の考え方によるものなのかもしれない。
「父さんは別に、悪魔がみんな悪いものだとは思わないよ」
「……神父がそういうこと言ってしまっていいもんなの?」
 横目で親父の顔を見た。
「神父は全ての生き物に平等に接するものだよ」
 と、笑う。
「悪魔はただ、自分の欲望にも他人の欲望にも純粋なだけさ」
 他人の欲するものを与える代わりに、自分の欲するものを求める。
 与えるものがどのようなものかなんて、彼らには関心がないのだ。
「悪魔の力を使う人間次第なんだよ」
「……まあね」
 そう返事をしたのとほぼ同時に、小さな金属音を鳴らして、目の前の枕に古い鍵のついたリングが投げ置かれた。
「何?」
 小さな鍵と少し大きめの鍵、どちらもかなり古そうな鈍い輝きを放っている。
 リング型の素っ気ないキーホルダーにそのふたつの鍵がはめられていた。
「奥の部屋の鍵だよ。……それをどう使うかは、お前次第だ」
 と、親父がよっこいしょ、と言いながら椅子から立ち上がる。
「……俺は、別に……」
「お前は意外と素直じゃないねえ。そんなふうに育てたつもりはないんだがなあ」
 と、笑いながら部屋を出ていった。

 僕の手の中で、ふたつの鍵がかちゃり、と小さな音を立てた。


 神様、僕は、…僕のこの気持ちは、罪になりますか?