Man and Woman

OOPS!

13. キズにはキスを

 朝食もまだなのに、さっきから父は電話で何やら話をしている。
「…困ったなあ…今日は午前中に結婚式があってねえ…指名されてるものだから代わりに誰かってことにはできないんだ」
 仕事の話かな。
「しかし…急いだ方がよさそうかな……じゃあ息子を行かせるよ。…ああ、一真。たぶん大丈夫だろう」
 と言ってちらりと僕の方を見る。

 『悪魔憑き』の場合、最初はパニック障害だとか抑うつだとかのような症状が多く、精神科の病院に行くことが多い。
 それでも『悪魔憑き』には当然薬なんかは効かないから、あちこちの病院を渡いているうちにウチに情報が流れてくるというのがいつものパターンなんだけれど、そのときによってはかなり症状が進んでしまってから連絡が来る場合もある。
 そんな時はとり憑いている悪魔の力もかなり強くなっているから、僕のような見習いだけで悪魔祓いの儀式を行うのは危険だ。
 まあ、今は強力な助手がいるからある程度は僕でもなんとかなるとは思うけど。
 でもその助手はとりあえずまだベッドの中だ。
 ……毎晩搾り取られてるのは僕の方なのに、と小さくため息をついた。

「一真。…聞いてた?」
 父は受話器を置いて、少し困ったような表情を浮かべながら僕に話しかけた。
「うん。仕事でしょ。…何時にどこ?」
「今ファックスが来るんだけど…かなり危ないようなんだよ、話を聞いてると」
「進んでるって?」
「そう。ウチの知り合いまで回ってくるまで時間が掛かっちゃってね。…来た来た」
 と、電話が鳴って自動的にファックスに切り替わる。
 ジジジ…と音を立てながら地図が書かれた紙が出てきた。
「まあお前には莉音ちゃんもいるし、なんとかなるんじゃないかと思うんだ」
「うん、多分」
「ただ、無理するなよ。危なそうだったら帰って来い」
「…はい。」
 そのときの父の表情から、今回の仕事の重さを感じた。


「いいよー。手伝ってあげる」
 父が出かけたあとに起きてきた莉音がまだ寝ぼけた顔をしながら返事をした。
「じゃあなるべく早く出かける用意して」
 のんびりと紅茶を飲んでいる莉音を急かす。
「え、すぐ行くの?」
「うん。なんかヤバイらしい」
 僕の方はもう仕事に必要なものの準備はできていた。
「えー、一真くんひとりで大丈夫なの?」
「……手伝ってくれるんだろ?」
「んー、一真くんが死にそうになったらね」
 おいおい。
 イマイチ信用できないかもしれない助手ではあるが、それなりに協力してくれると信じるしかない。
「だからほら、顔洗って来て」
「はあい」
 莉音はそう返事をして、立ち上がりながらマグカップに残った最後の一口を飲み干してから洗面所に向かった。



 朝、ファックスで送られてきた地図を頼りに、依頼主の家に向かう。
 割とわかりやすい場所だったから道に迷うことなくたどり着いた。
 ただ、家を出るときから何度も携帯で電話をかけているのに誰も出ないのが気がかりだった。

「ここだな」
「…一真くん、今日やめよ」
 珍しく神妙な顔つきをしてその家を眺めていた莉音が小さな声で言った。
「なんで? ダメだってそんなの」
「……もう遅いよ。一真くんもわかるでしょ?」
 その言葉にぞくりとする。
 僕も同じことを思っていたからだ。
 それは気のせいだと思いたかった。
 ……この家には人の気配が一切なかった。
 さっきからの嫌な予感は的中だったらしい。
 ただ人間ではない『何か』の気配だけはものすごく強く感じられた。
「……でも、様子を見るだけでもしたいんだけど」
「そしたらあたし、この格好じゃ何もできないから。元に戻るね?」
 と、一瞬小さな青白い光を放って莉音が本来の悪魔の姿に変わった。
「あたしも力めいっぱい出さなきゃならないかもしんない」
「…そんなにか?」
「一真くん、今夜は寝かさないからね」
「……了解」

 玄関の呼び鈴を鳴らしても、やはり誰も出てこない。
 ドアには鍵が掛かっていて中に入れない。
「困ったな……」
「二階から行く?」
「そりゃ、お前は行けるだろうけど……」
「抱っこしてってあげるよ」
 莉音が背中に神経を集中させると、背中の小さな翼がバサっと音を立てて莉音の背丈よりも大きなものに変わった。
「それが本当のサイズ?」
 莉音のことだから、この大きさじゃ邪魔だとかかわいくないとかそんな理由で普段は小さく変えているんだろう。
「男の子抱っこして飛ぶにはいつものサイズじゃちょっとね」
 と笑って、僕を抱きしめる。
「飛ぶよ?」
「うん」
 返事をして莉音の腰に腕を回すと同時に、足元が地面からふわっと浮き上がった。
 ばさばさと大きく羽ばたかせながら、二階の窓に近づく。
「あ、鍵開いてる」
 莉音が腕を伸ばして窓を開けて、その中に僕が入った。
 それから莉音の手を取って家の中に入れる。
 そこは階段を登ったところにある廊下のようだった。

 ぞくぞくと体が内側から冷えるような感覚。
「奥にいるね。……向こうもあたしたちに気がついてる」
「だろうな」
「人食べちゃったから力は強くなってるけど、たぶん下等魔…一番めんどくさいパターンだよね。……どうするの?」
「……一応、行ってみる」
 歩き出す僕の半歩後ろを莉音がついてくる。
「こーゆーめんどうなの嫌なんだけどなあ」
「そう言うなって」
「ホントに今夜はサービスしてもらうからね」
「はいはい。……っ!」
 突然、奥の部屋のドアが大きな音を立てて開いた。
 むわっと悪臭が広がって一瞬吐き気をもよおすほどだったが、そんなことを言っていられる場合じゃない。
 下等魔特有の悪臭に血のにおいも混じっているのがわかる。
 やっぱりこんな風に入ってくるのは間違いだったかなと後悔しかけたとき、その部屋の奥に潜む真っ黒の塊が目に入った。
 形らしいものは持たず、黒い闇の塊に見えるそれが放つものは莉音とは明らかに違う『悪意』に満ちたものだった。
 ……やばい。
 そう思った瞬間、その闇の塊が僕に飛び掛ってきた。
「一真くん!!」
 莉音の鋭く叫ぶ声が聞こえたけれど、足が凍りついたように動けない。
「…くそっ……!」
 腕で顔をかばって目を閉じたそのとき、バンッと大きな破裂音とともに生温かい液体の飛沫が僕の顔や腕にかかってきた。
 その瞬間、僕は自分がやられたんだと思った。
 目を開けたときに最初に目に飛び込んだのは、ぼろぼろになった莉音の羽だった。
「莉音!!」
 左側の羽が半分ほど欠けてしまって、残った部分もかなり損傷している。
 同じように左腕も激しい裂傷が見えた。
 傷口から赤い血が滴っている。
 ……僕にかかってきた飛沫は莉音の血だ。
 僕を庇ってこんな怪我をするなんて。
「…大丈夫、片っぽだけだから。…でも痛ぁ……ムカつくわ……」
 ちっと小さく舌打ちをしてあの塊を睨む。
「本気出していくからね…とりあえずこの部屋はなくなると思うけど」
 そう言いながら、右の手のひらを上に向けてそこに神経を集中させる。
 莉音の瞳の色と同じような赤い炎が立ちあがったところで、その手を黒い塊に向けた。
「……消えちゃってください」
 莉音の言葉と同時に、大きな爆発が起こった。
 あまりの爆風と光の眩しさに僕は思わず顔を背けた。

「…莉音……?」
 莉音の背中の向こう側は、壁がすっかり消えてしまっていて、閑静な住宅街の景色が見えている。
 壁の残っている部分が焼け焦げて燻っているが、さっきまで充満していた濃い悪臭はすっかり消えてなくなっていた。
 そして、莉音。
 翼はいつのまにか普段の大きさに戻っていたが、左側の羽が半分ほど欠けたような状態で今でも赤い血が滴っていた。
 息を弾ませてしばらくあの塊がいた場所を睨みつけていたのが、がくっと膝が崩れてその場に倒れこむ。
「莉音! 莉音!」
 その背中をすぐに抱きかかえたが、体に全く力が入っていないようで腕がだらりと垂れ落ちた。
「…一真くん……」
 やっとのことで目を開ける。
「痛むか? 大丈夫か? …ごめん、俺がやめておけば……」
「いいの。あたし一真くんのお嫁さんだから……」
 弱々しく微笑む表情が痛々しい。
 いつもだったらついツッコミを入れてしまうような莉音の言葉にも、何も言えなかった。
「一真くん…やっぱり羽いたい……手も痛い……あたしもうだめかも……」
 と言って目を閉じる。
「そんなこと言うなよ!」
 莉音がいなくなったら僕はどうなるんだ。
 きっと生きていけない。
 なんだかんだ言ったって、もう僕にはなくすことのできない女だ。
「もうだめ…なんか目の前真っ暗だし……」
 普段だったら目をつぶってるからだとか言ってしまうところだろうけど、やっぱりそんなこと今は考えつきもしなかった。
「莉音!」
 僕は必死で莉音の名前を呼んだ。
 それでも莉音はぐったりと目を閉じたまま、浅い呼吸をくり返している。
「一真くん…お願いがあるの……」
「何でもするから…死ぬな莉音…!」
「お願い…キスして……」
 キスくらいいくらでもしてやる。
 そんな風に思いながら、莉音の後頭部に手を添えて唇を重ねた。
 ゆっくり軽くついばむようなキスをして顔を離すと、
「…もっと……」
 とせがまれるから、今度は莉音の唇の間に舌を割り込ませて深いキスをする。
 僕の舌の動きにあわせて、莉音の舌が応えるように動く。
 唇を離したとたんに莉音が消えてしまいそうな気がして、キスをやめることができなかった。

「……お取り込み中悪いんですけど」
 と、咳払いをする声が後ろから聞こえた。
「わぁっ!!」
 後ろを振り返ると、神父の制服に身を包んだ父が立っていた。
「…あー、パパさん……邪魔しに来たの?」
 心臓が止まりそうなほど驚いたのに、莉音はなんだかのんびりとした口調で言って目を開けた。
「結婚式終わったからすぐに来たんだけど…いろいろと遅かったみたいだねぇ……」
「そうだ、莉音が………あれ?」
 そういえば、僕が抱きかかえていた莉音の左腕と羽は、まだ少々の傷跡があるもののすっかりきれいになっている。
「……なにこれ?」
「キスしてもらったから治ったんだよ。体液ありがとうねー」
 と、何事もなかったかのように立ち上がる。
「……はぁ?」
「でも人間の格好に戻るには体力まだ全然足りないから、今日はこのままでいさせてね。…あ、すぐえっちしてくれるならいいんだけど。」
 そう言ってにっこりと笑った。
「……ええー?」
「まあ、なんだ。だいたいの経緯は想像できるんだが……」
「ああ、うん。…とりあえず帰ってからでもいいかな……」
 なんだか今は、色々なことがいっぺんに起こったような感じがして、頭の中が整理できない。
「あとのことは、知り合いの警察の人に処理してもらうよ。…今回はちょっと連絡来るのが遅すぎたな」
 父は依頼主を助けることができなかった悔しさを滲ませた表情で、壁のなくなった部屋を見回した。
 今回みたいなことはそうないけれど、万が一のときにはそれ相応に対処してくれる部署が警察には秘密裏にあったりする。

「じゃあ、帰ろっか」
 莉音はけろりとした顔をして、まだ座り込んだままだった僕の手を引いて立ち上がらせる。
「ありがとね、一真くん」
 と微笑んだ莉音を思わず抱きしめた。
「一真くん…?」
「……よかった…ホントに死ぬかと思った……」
 大きくため息をついて、莉音の肩に顔を埋めた。
「一真くんを残して死んだりしないから心配しないで。」
 と、僕の背中に手を回す。
「ごめん、…俺何もできなくて……ありがとう……」
 莉音の甘いやさしい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
 ダメかもなんて言ってキスさせたりして、ずるいことのようにも思えるかもしれないけど、今は莉音がいつもどおり元気でいてくれることが心から幸せに思えて目頭が熱くなる。
「泣かないで、一真くん」
「泣いてないけどさ。…でもよかった、ホントに……」
「……えーと、悪いんだけど」
 と、父の咳払いが聞こえてふと我に返る。
「続きはまあ、家でふたりきりになった頃にでも、ねえ」
「あー……ごめん、つい……」
「死の淵から生還したあたしとの熱い抱擁だから仕方ないんだよねー」
 と、笑う莉音に思わず
「…何言ってるんだか……」
 といつもどおりの反応をしてしまったけれど。
 莉音がいない生活なんて、今はもう考えることもできないんだ。


「じゃーサービスしてもらおうかなっ」
 その日の夜、ベッドにて。
 横になった僕の上に莉音がのしかかって来た。
「サービスって何すんだよ?」
「何がいいかなー。とりあえずフルコースでお願いします」
 僕の腹の上にまたがって、にっこりと微笑んだ顔を寄せる。
 その頬を両手でそっと挟んで唇を重ねた。

END

2006/04/14