Man and Woman

OOPS!

15. 青天ノ霹靂

「診療所の土地をぜひ買いたいって業者がいてねえ。まあ、あそこが必要か必要でないかと言えば、あまり必要ではないかなと思うんだよね」
 と、夕食時に父が切り出した。
 最近は父は教会で役員になって、そっちの仕事が忙しく、僕も悪魔祓いの仕事も少しは独り立ちしてできるようになってきて――莉音の助けがあってこそではあるけど――もともと名ばかりだった診療所はもう何か月も閉めたままだった。
「そうねぇ、お祖父様から引き継いだ土地だけど、この家もあるしねぇ」
「お父さんのおじいちゃんってことは、ひいおじいちゃんだよね? イギリス人の?」
「そう。ま、もともとはお祖母さんの家の土地らしいけど」
 イギリスからやってきた魔術師の曾祖父さんと日本のわりとお嬢様の曾祖母さんがいろいろあった末に結婚して、曾祖父さんは魔術師から悪魔祓いに転職して僕らに続いている、らしい。
「けっこう土地持ちだったんだ?」
 診療所も古い小さな建物だけど、敷地だけはそれなりの広さがある。
 そう大きくないマンションであれば建てることはできそうだ。
「そうみたいだよ。今はなんにもないけどねぇ」
 今のこの家も、戦後すぐの頃に曾祖父さんが建てたそうだ。
 洋館風の建物で、イギリス風なのかもしれない。
 当時も目立った家だったろうし、今も古い洋館と言われて目印にされるくらいには目立っている家だ。
「いつ頃になるの?」
「ご検討くださいってことだったけど、特に反対意見がないなら明日にでも連絡してみるかなぁ」
「片付けしなきゃヤバいだろうから、日にちは少し余裕持ってね」
 つい最近まで知らなかった魔術祈祷用の部屋とか、一般の業者に入られたらヤバそうなところもある。
「そうだな。……ところで莉音ちゃんは?」
「お出かけ」
「お出かけ?」
 あれでいてまあまあ高等魔の莉音は、意外と召喚されることが多く、あれからも何度か突然出かけてしまう。
 莉音なりに出かける相手は選んでいるし、人を殺すとか物騒な願いについては聞き入れないでいるらしいけど。
 彼女の正義の基準はいまいち人間とはズレているから、どうしているのかあまりよくわからないところもある。
 そのとき、青白い光が小さくきらめいたかと思うと、
「ただいまー」
 とのん気な声と共に莉音の姿が現れた。
 相変わらず胸元は大きく開いたランジェリーのような服だけど、一応小さなパフスリーブの袖がついている黒いミニのワンピースを着ていた。
 振り返るだけの仕草で短い裾がふわりと揺れると、その中まで見えそうな気分になって、つい目をそらす。
 別に、毎日のように見てるんだけど、なんとなく。
「おかえり。ちょうど莉音ちゃん出かけてるって話してたとこ」
「あ、そうなの? 今日はね、世界征服って言われたけど、そんな壮大なことめんどくさいから、とりあえず話聞いて、勉強でもしなさいって言って帰ってきた」
 はー働いたわ、と大きくため息をついて、ソファにごろんと寝そべった。
「なんだそれ」
「ほんと、なんだそれだよねー。なんにももらえなくて、行って損したわ」
「莉音ちゃん、悪魔なのにカウンセラーみたいなことしてるね」
 と真子がケラケラと笑う。
「カウンセラーってそうなの?」
「おまえの場合は大雑把だけどな」
「ああ、莉音ちゃんも」
 と、父が莉音に声をかけた。
「ん?」
「診療所の土地、売ろうかなって話」
「あれ、そうなの?」
 莉音は上半身を起こして、父の方に顔を向ける。
「うん、そうしようかなって今言ってたんだ」
「あたしは特になにも。じゃあこれから一真くんは毎日おうちにいるの?」
 無邪気な微笑みで小首を傾げる仕草は本当にかわいいんだけど。
「いや、ちょっと、仕事してないみたいに言わないでくれる?」
「あたし、佐々木さんのおばさんに『お兄ちゃん毎日お家で何してるの』って心配そうに聞かれたわぁ」
 と、真子が思い出して笑う。
「マジかよ」
「お母さんも明らかに言いにくそうにもごもごするんだもん。あれは誤解されるわ」
「母さん……学生だとかなんとか言えるじゃんか……」
「だってー、そうやったときの周りの反応が面白くって」
 母はそう言ってうふふと笑った。
 自分の息子をニート扱いとは、ひどい親だな。
「学生といえば、一真はさ、留学しないかって話もあるんだけど」
「は? 聞いてないし」
「今はじめて言ったし」
 さっき聞いてきた話、と付け加える。
「どこに?」
「バチカン」
「ば……?」
 あまりに想定外の場所に、絶句してしまう。
「ええー、マジで?」
 真子が驚きの声を上げる。
「マジで。一真は行きたい?」
「て言うか何の勉強……?」
「エクソシストのすごい先生がいるんだよ」
 それは本で読んだことがある。
 世界各地から何人ものエクソシストが弟子入りしに行く神父がいるらしい。
 そんな人のところに留学できるのは、チャンスではある。
「一真の能力は、正直今の教会の中でトップレベルだ。莉音ちゃんがいなくてもね」
「莉音なしでも?」
 僕には莉音がいるというのは本当に一部の教会役員にしか知られていないことではあるが、それを差し引いても高評価されていることに少し驚く。
 まあ、うちの支部では悪魔祓いをしてるのは今は我が家しかいないし、能力があってもわざわざこんな危ない仕事をする人がいないようだ。
 他の支部でも同じ状態で、人材不足が深刻だという話は聞いている。
「まだポテンシャルとしてね。父さんも一真は能力ある悪魔祓いだと思っているし、そう評価されていてね」
「じゃあ正職員にしてくれたらいいのに」
 二十五歳になってもいまだアルバイトの立場で、結婚式やクリスマスなどの行事のときにしか通勤しない残念なエクソシストだ。
「悪魔祓いは公になってない仕事だからしょうがないんだよ。まだまだ役職に就ける歳でもないし」
 仕事がうまくいけば、最初は驚いたくらいの額の報酬が振り込まれる。
 だけど、仕事がないときには自宅待機だし、そんなしょっちゅう仕事があるわけではないから、近所のおばさんたちには本当に何を言われているのかわかったもんじゃない。
「で、留学してもっと勉強して来いって?」
「そう、公ではないけど大事な仕事だからね。最近ちょっと昔より依頼が多い気がするし」
「ああ……それはあるかも」
 莉音といると、悪魔も意外と素直で穏やかなものだと錯覚してしまいがちだけど、世間を騒がす事件なんかを引き起こす原因に悪魔が関与していることも多いし、急に力をつけてきた権力者のバックには悪魔がついている、ということもあるようだ。
 支部によってはそのような事案の調査を秘密裏に行うこともあり、父も詳しくは話さないが最近はそんな仕事を引き受けているらしい。
「へえー、すごいじゃん、一真くん」
「すごいのかな……費用は? 教会持ち?」
「もちろん。寮完備だって」
「バチカンかぁ……」
 本の中の世界のように思ってた場所が、急に近づいてきたように思えた。
 一流の悪魔祓いの技を間近で見られるチャンスなんて、一生に何度もあるわけじゃない。
「バチカン、莉音ちゃん入れないかもしれないんじゃない?」
「は? なんでっ?」
「すっごい結界張ってるって聞いたけど? バチカンのエクソシストのとこに来る悪魔憑きの人は、それだけでもすっごい苦しむらしいよ」
「じゃ、僕ヤバいじゃんか」
「一真くんには憑いてるっていうのとはちょっと違うけど。なんなの、あたし一緒じゃないならダメダメ!」
 莉音はぷっと頬を膨らませて首を横に振る。
「おや、思わぬ反対意見が出たねぇ」
「一緒に行くならいいけどー?」
「結界ったって莉音くらいのランクならそう簡単に弱ることもないだろうけど、でも行ってみないとわからないよな」
「なんとかなるでしょ」
「まあ、だめそうならすぐに莉音ちゃんだけ帰っておいで。うちはみんな莉音ちゃんが悪魔の姿でも平気なんだし」
「うん、それならいいよ」
 やたらと上から目線だけど、いつものことだからもう突っ込むのはやめた。
「ううーん、行くのか」
 て言うか莉音憑きか。
 いや、莉音なしって選択肢は元々ないけど。
 しかし悪魔払いが悪魔憑きでバチカンなんて行っていいのか?
「いい話だと思うよ。正直言えば父さんが行きたいくらいだ」
「せっかくの機会だしねぇ」
「……じゃあ、行く気あるって言っといて」
「決断はやっ」
「だって、自腹ならともかく、費用も出るとかなら」
 バチカン留学なんて、自腹だったらいくらかかるんだか、想像もつかない。
「じゃあ、しっかり勉強しとくんだぞ」
「えっ、事前に試験とかある?」
「ペーパーと面接」
「イタリア語できないけど」
「英語がそこそこできればいいみたいだ」
「そこそこ……」
 曾祖父さんがイギリス人だからって、DNAに染み付いてるとかそんな都合のいい話はなく。
 大学生のときには英会話にも行っていたから少しはわかるけど、それでもブランクを作ってしまっているから、日常会話もままならないように思う。
「また英会話行くか……」
「がんばってねー」
 のんびりとした莉音の声。
「マジか……」
 青天の霹靂とか、降って沸いたなんとかとか。
 予想外な話が突然転がり込んできて、かなり面食らってるけど。


 神様、こんなうまい話あっていいんでしょうか……。