Man and Woman

Poker face

03. 告白

「じゃ、そういうことで。勉強するか」
 おやすみ、と言って窓に手をかけた満に、
「……待って」
 と、声をかけた。
 心臓がバクバクと音を立てて響く。
 満にも聞こえてしまうのではないかと思った。
「何?」
「満、……えっと、あの……」
 好きだなんて言ったら、変に思われるだろう。
 満にはそんな気は全然ないと思うし、このまま友達でいるだけでいいのに、とも思う。
 だけど、それでは満を助けることができない。
「何? なんか変だよ、雫」
 満は怪訝な顔をして首を傾げた。
「うん、ごめん……でも、私……私、満のことが、好き、だと思う」
「雫……?」
 満は驚いた表情をして、こっちを見ていた。
「ずっと、子どもの頃から……」
「……冗談だろ?」
 どんな返事が返ってくるのか想像もつかなかったけれど、まさかそんな風に思われるとは思っていなかった。
「冗談なんかじゃ……!」
「やめてよ、ホント。雫のことはそんなふうに見たことないし」
 笑われるかも、とか考えてなかった訳じゃない。
 でも、こんなにも簡単に断られるなんて。
「どうして、私じゃダメ? 他の人とどう違うの?」
 声が震える。
「て言うかさ、俺と付き合いたいの? 本気?」
 呆れたような表情。
 満は、私のことなんか本当に何とも思ってないんだ。
「好き、って言ったら、そういうことだと思うけど……」
「ばっかじゃねーの?」
 満の、今まで聞いたこともないくらいの冷たい声に、私はもういたたまれなくなる。
「とりあえず、雫と付き合うなんてことは絶対ないわ、マジで。寝ぼけてたってことで忘れてやるから、もう変なこと言うなよ」
 満は私が口を開くより前に、おやすみ、と言って窓を勢いよく閉めた。
 私はしばらくの間、動くこともできなかった。


 振られたんだ。
 こんなことなら、言わなければ良かった。
 後悔しても、もうきっと今までみたいに満と話をすることもできないんだろう。
 いつも近くにいて、近くにいることが当たり前で。
 恋人ではもちろんなかったけれど、それ以上とも思える存在だった。
 そんな関係が、音を立てて崩れて行く。
 そう考えると涙が溢れてきた。
 こうなってから初めて、私はこんなに満のことが好きだったんだと気づく。
 自分の身体がどうなろうと、満を守れるのなら何だって構わないんだって、きっとずっと心の奥で想っていた。
 だけど……。
 私と付き合うなんて絶対にないと言い切った、満の表情を思い出す。
 呆れたような、冷たい目線。
 振られた、どころの話じゃない。
 私は拒絶されたんだ。

 その夜は結局ほとんど眠れなかった。
「おはよう」
 とキッチンにいた母に声をかけたら、母は私の顔を見て驚いた。
「どうしたの、その顔? 目、真っ赤よ」
「あ、なんか眠れなくて」
 なんて言っても、母にはわかってしまうのかもしれない。
 我慢しようとしても涙は止められなかった。
 外が明るくなりかけてきた頃に少しうとうととしただけでは、充血も仕方ない。
「薬箱に目薬あるから、使いなさい」
「はーい」
 そう返事をしながら、洗面所に向かう。
 鏡に映った自分の酷い顔を見て、溜息をついた。
 この充血した目は眼鏡をかけたくらいじゃとても隠しきれない。
 せめて瞼の腫れだけでもなんとかできればと思い、タオルを熱いお湯で濡らし、目元に当てる。
「あち……」
 これで少しマシになればいいのだけど。
 ……全部、夢だったらいいのに。
 酷く悪い夢だけれど、現実であるよりいい。
 タオルを外しても、鏡の向こうには赤い目をした私がいた。
 悲しくて、寂しくて、惨めな私。
 これが現実だ。
「雫……大丈夫?」
 母はキッチンから洗面所を覗いて、少し心配そうに声をかけてきた。
「ん、大丈夫大丈夫。眼鏡で行けばまあ、マシでしょ?」
 普段はコンタクトだけど、仕方がない。
 鏡に映る自分の顔を見ながら、今日からはもう満の家には寄れないな、とちらりと考えた。


 その日、満は二時間目の途中から登校してきた。
 友達にはいつも通りの笑顔を見せていたけど、やっぱり顔色が悪くて、席に着いた時には少し辛そうにため息をつくのが見えた。

 三時間目の生物の授業のために生物室に向かう途中、ふと、廊下の壁にある大きな鏡が目に入った。
 何年か前の卒業記念品ということが、鏡の隅に書いてある。
 そこには廊下を行き交う生徒たちの姿が映っていたけど、満の姿だけ、うっすらと向こう側が透けて見えた。
 吸血鬼になると、鏡には映らないと言う。
 ……もう、そんなところまで進んでいるなんて。
 私は思わず立ちすくんだ。
 胸の奥がキリキリと痛む。
「雫? どうしたの?」
 一緒に歩いていた奏絵が不思議そうに尋ねた。
 まだ誰も気がつかない。
 でも、満はどんどん遠くへ行ってしまう。
「……あ、ううん、なんでもない」
 私には、本当に何もできないんだろうか。
 私の手は、満に届かないんだろうか。

 満は、次の日から学校を休むようになった。


 なんとなく、満の家には行きにくく思えて、玄関のチャイムは鳴らせなかった。
 でもやっぱり顔が見たくて、夜に何度か窓に消しゴムをぶつけてみたけど、満の部屋の窓は開かない。
 仕方なく外に拾いに出ても、満が顔を見せることはなかった。

 次の日も、その次の日も、満の家の玄関まで行くけど、チャイムを鳴らせずにいた。
 『雫の顔なんか見たくない』なんて言われたら、どうしたらいいんだろう。
 そう考えるとどうしても前に出ることができなかった。
 おじさんかおばさんが外に出ていてくれたら気が楽なのに、こういう時に限って誰も外にいない。
 私はどうしたらいいんだろう。
 灯りもつかない、カーテンも開かない満の部屋の窓を眺めて溜息をついた。

 満が学校を休んで三日経った。
 三日間ずっと同じことを考えていたけど、やっぱり前に出ないと何も変わらない。
 何かしないと、満は……この世から消えてしまうかもしれない。
 それは絶対に、嫌だ。

 学校から帰ってきた後、私は制服のまま、思い切って満の家のチャイムを鳴らした。
「雫?」
 インターホンのモニターで確認したおじさんが、すぐに玄関のドアを開けてくれた。
 その間に、心臓に手を当ててふうっと一息、呼吸を整える。
 緊張のせいで心臓がどくどくと強く脈打っていた。
「こんにちは。あの……満、どうしてる?」
「ああ……、部屋にいるよ。熱出しててね、ちょっと長引いてるけど」
「熱?」
「風邪だと思うけど。免疫落ちてるみたいで」
 と、満の部屋がある二階のほうを見やる。
「免疫……やっぱり、そうなの……? あ、あの、私、ちょっと行ってもいい?」
「ああ、いいよ。上がって」
 玄関に上がって、そのまま満の部屋に向かって階段を上る。
 どうしたらいいのか、満になんて言葉をかければいいのか、わからなかったけど。
 何もしないではいられなかった。
「満?」
 ドアをノックしたけど、返事はない。
「寝てるの? ……入るよ」
 そっとドアを開けたら、
「入っていいって言ってないし」
 と、満の声が聞こえた。
「……起きてるなら返事しなさいよ」
 思わずむっとしてそう言うと、くすっと笑う。
 満はTシャツとスウェットのハーフパンツという服装でベッドの上に座って、雑誌を読んでいるようだった。
 もう夕方だから、今は体調がいいのかもしれない、と思った。
「何か用?」
 満は膝の上の雑誌を見たまま、言葉はぶっきらぼうだけど、機嫌が悪いわけではないようだった。
 本当に、この前のことは忘れてしまっているのかもしれない。
 そう思わされるくらいに、いつも通りの満だった。
「用ってわけでもないけど……生きてるかなって思って」
 後ろ手でドアを閉めて、でも満に近づく勇気もなく、私はそこに立ったままでいる。
「とりあえず、生きてるよ」
 ちょっとだけ肩を竦めるような仕草をする。
「熱、あるんだって?」
「大丈夫だよ」
 満の『大丈夫』って言葉、何度聞いただろう。
 全然大丈夫なんかじゃないくせに、まるで他人事のように『大丈夫』と言う。
「大丈夫だったら寝込んでないって……」
 私の言葉に、満は返事はしないでただ苦笑した。
「……ねえ」
 もう一度だけ、言ってみようと思った。
「私、ちゃんとわかってるつもりだよ? 満のこと。それでも、……ううん、だから、生きてて欲しいんだよ」
 この前のこと、忘れてやるって言われた。
 全部忘れて、今まで通りに過ごせるならそれがいいのかもしれない。
 でも、満の身体はそれを許してくれない。
 もう『今まで通り』なんてことは無理なんだ。
「……雫」
「満がこのまま死んじゃうなんて、絶対に嫌だ。絶対、だめだよ。だから……」
「でも、雫とは付き合えない」
 満は澱みない口調ではっきりと言い切る。
 その言葉と口調に思わずカッとなった。
「どうしてよ? 他の人だったら誰とでも付き合うくせに!」
 満の冷静な声と反対に、私は声を荒げる。
「それはちょっとひでぇな……」
 満はそう言って、吹き出して笑った。
 でも、私は笑ってられない。
「本当のことじゃない!」
「そうかもしれないけど。でも雫はだめ」
 どんなに私が頑張ろうと、満はこの件については相変わらずにべもない。
「だからどうしてよ? 納得できるように言ってくれないと、帰らないからね!」
 もう、ただの意地っ張りでしかない。
 自分でもわかっているけれど、それでも、満が私を拒絶する理由を知りたいと思った。
 自分には何か足りないもの、満にとって不満なものがあるのかもしれない。
 変えられるものは、変えていくようにもしたいのに。