Man and Woman

Poker face

side Michiru 01

 もうホント、最悪。
 朦朧とする頭の中で、やっぱり今日は休めば良かったとか遅刻しちゃえばよかったとか、そんなことを考える。
 本当はできるだけ遅刻はしたくなかったし、一度休んだらずるずると休む癖がついてしまいそうで嫌なんだけど、そろそろそんな強がりを言っていられる体調じゃなくなってきたのも事実。
 でも、倒れた時に肩を床にぶつけてめちゃくちゃ痛かったし、毎度のことながら担任に担がれてるのって、男としては物凄く恥ずかしい。
 救いと言えば、雫がついて来てくれてるってことだ。

「じゃあ私、少しついてます」
 雫の声がやけに遠くから聞こえるように感じた。
 程なくして、俺の唇にほんの少し液体が塗りつけられる。
 反射的にその唇を舐めた。
 口の中に広がる、血の匂い。
 ほんの一滴の血でも、身体に巡っていくのがわかる。
「……サンキュ、雫」
 薄眼を開けて、ため息とともに感謝の言葉を吐き出した。
 本当に心からありがたいと思って言ってるのに、雫のやつ、こういう時はたいていぶすっと膨れた顔をする。
 どんだけ本気に取られてないんだろ。
 雫は安全ピンの先をティッシュで拭いて、スカートのポケットにしまいながら、
「もう四回目くらいじゃない? こうやって倒れるの。だから無理しないで夜間でも行けば……」
 と、説教を始める。
 一回目のときなんかはオロオロとして半泣きになったりして、かわいいと思えたのに。
 今ではすっかり落ち着いたもんだ。
 安全ピンまでちゃんと用意してあるなんて、俺が倒れると思っていたんだろうな。
「だって、雫と同じ学校に行きたかったんだもん」
 これは、本当。
 雫は俺のことなんてなんとも思ってないだろうけど、俺は少しでも雫の近くにいたいと思ったから。
 それなのに、
「……ばっかじゃないの」
 とは、冷徹極まりない。
 こんだけストレートな告白をしてるのに、そりゃないだろ。
 ……まあ、身から出た錆。仕方ないけど。

「邑井くんっ」
 昼休みに入ったとたん、教室のドアから声をかけられた。
「ああ……、さやかちゃん」
 今の彼女は隣のクラスの寺田さやかちゃん。
 と、自分に言い聞かせないと忘れてしまいそうになる。
 彼女と言っても、俺にとってはそんなもんなんだ。
「あの、具合、大丈夫?」
 彼女からコクってきたわりには、イマイチ積極性に欠ける子なんだよな。
 奥ゆかしいと言えばそうなんだろうけど、俺にとっては都合が良くない。
「うん、もう平気」
 それでも俺は、にっこりと微笑んで見せた。
 これが生きるための手段だよな。
「よかった……。朝会の時、先生に連れて行かれるの、見ちゃって」
 できれば見ないで欲しかったけど。
「あー……ごめんね、びっくりさせちゃって」
「うん、あの、……光浦さんと一緒にいたの?」
 ほら、始まった。
「ちょっとだけね。光浦さん、保健委員だから」
「……そっか、そうだよね」
 こういうのが、ちょっと……ウザい。
 今まではもうちょっと軽いと言うか、付き合いやすい子ばかりだったんだけど、そろそろ学校内にいるそういうタイプで付き合ったことがない子ってのも、いなくなってきた。
 二週間ほど前に、それまで付き合ってた子と別れてすぐにこの子がコクってきたから、付き合いだしたんだけど、……もう二週間も経つっけ?
 俺はポケットから携帯を取り出して、日付を確認する。
 あまり正確には覚えてないけど、たぶん二週間前。
 となると、二週間もキスもセックスもしてないってことか。
 それじゃあ倒れても仕方ないと思う。
 俺けっこうかわいそうだな。
「どうしたの?」
「え、いや、バイブ鳴ったような気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
 かわいい子ではあるんだけど……なんか、めんどくさいんだよな。

 付き合い始めて一週間でやっと手を繋げて、今日でだいたい二週間。
 帰り道、さやかちゃんと二人でなるべく人が少ない道を選んで歩く。
「そろそろ、いい?」
「え……?」
「キス、したい」
 今までならだいたい三日でオーケーだったのにな……。
「え……でも……」
「もう二週間くらいになるのに。なんで? 俺のこと嫌?」
 そっちからコクってきたくせにそりゃねーよ、と言いたいところだけど、それは言わないでおく。
「う、ううん、そんなことないよ! でも、……うん、いいよ」
 恥ずかしそうに俯く彼女の顎に手を添えて上を向かせると、彼女は目を閉じる。
 ……これ、初めてってわけじゃなさそうだな。
 そのくせに二週間もかけるのかよ。
 とか思いつつも、できるだけ丁寧に唇を重ねた。

 別に、キスとかセックスとかがしたいって訳じゃない。
 だけど、そういうことをしてみたら、少しは体調が良くなる。
 両親が結婚したというのはそういうことか、と初めてした時にわかった。
 でも今はもうキスだけじゃ足りない。
 明日の朝くらいは普通に起きられるだろうけど、長くは続かないだろう。
 ホント、最悪だ。

 唇を離して、彼女を抱きしめた。
「さやかちゃん、かわいい」
 これも生きるための知恵だ。


「ただいまー」
 暗くなりかけた頃、家に帰って真っすぐ自分の部屋に行こうとしたところを、
「満、ちょっと」
 と、母親に呼び止められた。
「何?」
「聞いたわ、朝会の時具合悪くなったって」
「え……」
 雫のヤツ……チクったな。
「午前中は仕方ないかもしれないけど……無理しちゃだめよ」
「ああ、うん。とりあえず大丈夫だよ」
 夜の世界でだけで生きていくつもりなら、今のままの生活でもギリギリやっていけるだろう。
 大学くらいまでは普通に行きたかったけど、最近ちょっと諦め気味だ。


 夜、机に向かって勉強していたけれど、どうも今日は気が散る。
 さっきはつい、雫にも八つ当たりしてしまったし。
 ……いや、親にチクる雫だって悪い。
 ふう、とため息をついて、椅子の背もたれに身体を預けて天井を見上げた。
 ……普通の暮らしをしたかったら、誰かを道連れにしなければならない。
 誰かって、誰だよ。
 好きでもなんでもない人間と四六時中顔を突き合わせて、セックスもしないとならないなんて、気が滅入るじゃないか。
 そう考えた時には必ず、頭に思い浮かぶのは雫だった。
 でも、雫は無理。
 俺は雫のことは好きだけど、絶対向こうはそんなふうに思ってないだろうし。
 それに、もし万が一雫が俺のことを好きだったりしても、やっぱり雫はない。
 こんな俺に付き合わせるなんて、そんなことできない。
 雫には、普通の人間と付き合って、普通に結婚して、普通に幸せな家庭を作ってほしい。
 そう、雫のうちみたいな。
 うちだって両親は仲がいいし、割と幸せではあるとは思うけど、体質が異常すぎる。
 人の血がないと普通の人間に混じって暮らすことができないなんて。
 今だってもう、朝とか昼間よりも夜の方が断然体調がいい。
「……もう、どうしようもないのかな」
 ため息を一つついてから、机の上に広げてあった参考書に視線を戻した。


 次の日の朝。
「最低。……大っ嫌い!」
 真っ赤な顔をしてパタパタと走っていく雫の背中を見送った。
 せっかく久しぶりに雫と学校に行けると思ったのにな。
「……ってぇ……」
 雫のヤツ、思いっきりやったな……。
 雫に叩かれた左頬に手を当てると、少し熱を持っているようだった。
「なんなんだよ……」
 俺が誰とキスしようが何しようが、関係ないだろ。
 そう思うけれど、叩かれた頬よりも胸のあたりがズキズキと痛むような感覚があった。
 何か、すごく悪いコトをしてしまったような。
 ……なんで悪いことなんだよ。
 ワケわかんないだろ。

 乗ったバスは雫も一緒だったけど、乗客が多い時間帯だから、ちょっとタイミングがずれるともう近くには寄れない状態だった。
 乗り換えのターミナルで降りて、雫を探していると、声をかけられた。
「邑井くん、おはよう」
 さやかちゃんだ。
「あ……、おはよう」
「今日は早いんだね。いつも朝なかなか会えないから」
「ああ、うん、まあね」
 雫の姿は大勢の生徒に紛れてしまって見当たらない。
「あれ? なんかほっぺた赤い?」
 さやかちゃんが手を伸ばして触ろうとした頬を、さっと自分の手でおさえた。
「あ、なんか枕の跡ついちゃって」
 なんだろう、この感じ。
 見てほしくないところとか、気づいて欲しくないところとかに目が行く。
 黙ってて欲しいところは黙ってないとか。
 空気を読むと言うか、そういうのが感じられない。
 ……自分がいかに今まで都合のいい女の子ばかりと付き合ってきたかがわかるな。
「お、ミッチーじゃん。普通に来るなんてめっずらしー」
 同じクラスの高橋が声をかけてくれた。
「はよー。たまには早起きしてみた」
「早くねーだろ、この時間が普通だって」
 そうやって笑って話ができる相手がいて、ホッとする。
 彼女と二人で話をするのも面倒って思うなんて、今まであんまり感じなかったんだけどな。
 彼女のせいなのか、それとも最近の俺の体調のせいなのか。
 こんな気持ちで付き合ってるのも悪いな、とも思った。

 その日の夜、風呂に入ってから自分の部屋に戻って、カーテンを開けて窓の向こうを見てみた。
 雫はもう部屋にいるらしい。
 カーテンは閉じていたけれど、灯りはついている。
 ……なんだろう、この感じ。
 胸がざわざわすると言うか。
 女ってよくわからないな。
 ただの幼馴染が誰と付き合おうが何しようが、関係ないんじゃないのか?
 でも俺は雫が誰かと付き合ったりしたら気になってしょうがないだろうけどな。
 それは、俺は雫に対して『ただの幼馴染』だけじゃない感情を持っているからだけど。
 ……まさか、雫も……?
 と、自意識過剰なことを考えはじめて、止めた。
 それはなさそうだ。
 いつもいつも、刺々しい態度で接してくる。
 俺が何をしたって言うんだよ。
 ため息をついて、カーテンを閉めた。

 次の日は結局また遅刻ギリギリ。
 俺が学校に着いたときには、雫はもうずっと前に到着してたみたいだった。
 いつもは朝迎えに寄ってくれてるのにな。
 そんなに嫌なこと言ったかなあ?
 悩んでるのと眠いのとで机に突っ伏しつつも、目は雫を見つめてしまっている。
「ミッチー、そんな露骨に光浦のこと見んなよ。恋しちゃってるの?」
 と、前の席にいる高橋が小声で笑う。
「……昨日、引っ叩かれてさ。でも何が悪かったのかよくわかんなくて」
 あえて『恋』の部分は否定しない。
「ケンカ? 何したんだよ」
「今の彼女との話しててー、……キスしたって言ったらなんか顔色変わった」
「お前……デリカシーって言葉知ってる?」
「だって幼馴染だし」
「だからってさあ、光浦だって女だってことだよ」
「……お前が女を語るなよな……」
 高橋だってモテなくないみたいだけど、俺の方が経験は多い。
「バーカ。経験じゃねーんだよ」
 俺が思ったことを見透かしているかのように、高橋は得意顔で語る。
「じゃあなんだよ」
「女ってそういうもんなんだって」
「そうかあ?」
「たぶん」
「コラ」
「お前、光浦のこと好きなの?」
「……好きだよ」
 唐突で不躾な質問だけど、そこは正直に答える。
 昨日一日、あれから一言も口を聞いてくれない。というか、あからさまに俺を避けている。
 今だって、こんなに露骨に雫を見てるのに、思い切り無視だ。
「向こうは全然って感じだな」
「……やっぱ、そう見えるよなー」
 せつない。
 両想いになったところで困るんだけど、でもやっぱりせつないもんはせつないんだ。