Man and Woman

Poker face

side Michiru 03

 それでも朝方になるとものすごい睡魔に襲われるのはいつものことで。
「……おはよう」
 ガンガンと痛む頭を押さえながら、リビングに降りて行く。
「おはよう。……満、大丈夫?」
「いや、あんまり大丈夫じゃないけど。……頭痛くてさ。父さんは?」
「お父さんも朝方までお仕事してたわ。お母さんと入れ替わりで寝たとこ」
 血を分け与えあっていても、結局やっぱり夜型の生活になるんだよな。
「……お母さんはさ、朝平気なの? いつもちゃんと起きてるみたいだけど」
「平気ではないけど、満もいるし……。朝の用意くらいはしてあげなくちゃって」
「ああ……どうもね」
「なあに、急に」
「でもごめん、ご飯はいいや。なんか食べたら吐きそう。薬とサプリだけ飲んでく」
 鉄剤や体調を整える効用のある物を飲んでるけど、もうあまり効き目は感じられない。
 ただの気休めだ。
「そんなに? 無理しないでいいのよ」
「……うん、でも、高校くらい行かなきゃって思ってるんだけどさ。行かせてもらってるんだし」
「満……」
「まあ、やるだけやってみるよ」
 と、錠剤を口に含んで、水で一気に流し込む。
 心配掛けてるのもわかってるけど、せめて高校くらいって思うから。
 ……でもやっぱりフラフラで、立ってるのも辛いくらいで、仕方なくリビングのソファにごろりと横になった。
「……十分だけ寝る」
 そう言ったとほとんど同時に意識が遠のいて行った。

 ……十分だけって言ったのに。
「十分で声は掛けたわよ」
 と、母は憮然としていたけど、結局目が覚めたのはもう一時間目の授業がとっくに始まっている時間だった。
 下手したら午前中ずっと寝てしまいそうな体調ではあったから、この時間だっただけマシとも言えなくもないけど。
 目眩と頭痛は今はまだ良くなることもなく、でもきっと夕方には治まってくるんだろう。
 ……もうホント、やばい。
 たぶん、今の俺は、人間よりもかなり『吸血鬼』の身体に近い。

 教室のドアの前で軽く深呼吸をしてから、
「すいませーん、遅れましたー」
 と、ドアを開けた。
 そのせいで少しざわつく教室の中で、雫の顔が視界に入った。
 雫の方を見ようとすると、さっと視線を逸らす。
 ……これでいいんだろうな。
 嫌われて当たり前なことを言ったんだし、俺のことなんか嫌いになってくれたほうが、雫のためなんだ。


「ただいまー」
 一人で家に帰って、制服のままリビングのソファに腰を下ろした。
「……なんか疲れた」
 ブレザーを脱いでソファの背に適当にかけておく。
「あら……満、なんか赤い顔してるけど」
「え……そう?」
 返事をすると、母が俺の額に手を当てた。
 ひんやりとした指先は、家族みんな同じだ。
「やっぱり熱っぽいかも」
「そう言われると、寒気とかするかも。ていうか、吸血鬼になっても熱出すんだ?」
「そりゃあ、風邪くらい普通にひくわよ」
 と、母は苦笑いする。
「熱測って、高いようなら解熱剤飲んだらいいわ」
「うん、そうする」
 夜はいつも以上に寝られなかったし、ずっとぐるぐると考え事してたせいで身体が冷えたりしたのかもしれない。
 ていうか、考え事して熱出すなんて、子どもみたいだな、俺……。
 母に言われた通りに体温計で熱を測ってみると、三十八度近かった。
 平熱は年々低くなっていっているのにこの体温は高すぎるだろ。
「……なんか、体温見たら具合悪くなってきたから寝る」
 母が出してくれた鎮痛剤を飲んでから、二階の自分の部屋に上がった。

 ベッドに倒れこんで布団にもぐりこむ。
 布団に入ってから着替えをしていないことに気づいて、布団の中に入ったまま制服のスラックスを脱いだ。
 シャツはとりあえずいいや。
 そう思って目を閉じる。
 ……やっぱり、思い浮かぶのは昨夜の雫の顔だ。
 今にも泣き出しそうな、涙をこらえるような表情。
 小さい頃はよく些細なイタズラをして泣かせたっけ。
 それでもいつも一緒で、いっぱい笑って……雫といると楽しかったんだよな。
 漫画読んでも同じ所で笑ったりして。
 いつからか、雫の笑った顔を見なくなった気がする。
 話しかけても素っ気なくて、だんだんとどんなふうに話をしたらいいのかわからなくなって……その答えが、昨夜のコトだったのか?
 雫のことは、好きだ。
 誰よりも大切にしたいって思える女だ。
 だけど、側にはいられない。
「……寒」
 寒気が強く出てきて、考え事もできなくなってきた。
 とりあえず、眠ろう。
 眠ったところで何も解決はできないけど、体調くらいはマシになるだろう。


 ふと目が覚めた時には、部屋の中は暗くなっていて、カーテンが開いたままの窓の向こうに見える空は濃い紫色をしていた。
 帰ってきたのが夕方近い時間だったから、思ったより長くは眠っていなかったようだった。
 まだ少し熱っぽいものの、薬が効いたのか夜になったからなのか、さっきよりは身体が楽に思えて、起き上がってみる。
 窓越しに見える雫の部屋は薄いレースのカーテンが引いてあって、中はよく見えなかったけど、雫が部屋にいないことだけはわかる。
 立ち上がってカーテンを閉めた。
 ……雫とは顔を合わせられない。
 あんなこと言ったんだ、雫はもうきっと俺になんて会いたくもないだろう。
 ため息をついて、クローゼットからハーフパンツを取り出して身に付け、着たままだったワイシャツも脱いでTシャツに着替えた。

「満、具合はどう?」
 喉が渇いた感じがしたから何か飲もうと思って、リビングに降りて行くと、母から声をかけられた。
「うん、少しマシ」
 ダイニングでは、ちょうど食事の用意が出来つつあるところだった。
「ご飯、少しでも食べるといいわ。お粥にする?」
「いや、普通のご飯でいい。少しだけもらう」
 冷蔵庫に常備してあるスポーツドリンクを取り出して、グラスに注いで一気に飲み干す。
 それでもまだ喉が渇く感じがして、もう一杯グラスに注いだ。
「熱だって?」
 と、新聞を見ていた父が顔を上げた。
「うん、風邪引いたかな」
「そうか。………」
 何か言いたそうな表情をするから、
「なに?」
 と聞いてみると慌てたように新聞に視線を移す。
「あ、いや、なんでもない」
「………あっそ」
 なんでもないわけじゃないことは、顔を見ればわかるんだけど、何を言いたかったのかはわからない。
 ダイニングの自分の席に座ったときに、母が俺の顔を見て、
「あ……満」
 と、怪訝な顔をした。
「なに?」
「ちょっと、歯見せて」
「歯?」
 言われるがまま、口を開く。
「いーって」
「いー……」
「ああ、やっぱり」
 俺の口の中を覗き込みながら、納得したように頷く。
「なに?」
「犬歯がちょっと……やっぱり満、早いわねえ」
「ちょっと?」
 母の話がイマイチよくわからなくて聞き返すと、父が口をはさんだ。
「牙だよ。喉が渇く感じ、ないかい?」
「んー……、今は熱もあるし、違いはわかんないな……歯、そんなに目立つ?」
 自分でも気になって、キッチンに続いている洗面所に行って鏡で見てみた。
 言われてみれば、若干犬歯が長いような気もする。
「わかる人じゃなければ大丈夫だと思うけど」
「それならまあ……これから伸びてくるってこと?」
「血を飲めば、普通の人間の歯でいられるけど」
「血か……すっぽんとかじゃダメ?」
「そういう動物の血で済ませてる人もいなくはないし、今はまだそれでもいいとは思うけど……でも、長くは持たないし、身体も今まで通りってわけにはいかないのよ」
「そっか。でも仕方ないや、まだパートナーって考えられないし……これからだって予定ないし」
 と、肩を竦めると、父の目が泳いだ。
 ……聞かれたかな。
 父は小説を書くのに詰まると、夜中であっても庭に出たりウォーキングに出かけたりする。
 昨夜、雫と話してたときにもそうやって外にいたのかもしれない。
 でもとりあえず何も言われないから、黙っていることにした。
「……なんかやっぱりご飯いいや。スポーツドリンク貰ってっていい?」
「いいけど、おなか空かない?」
「んー、今は。腹減ったらまたあとで来る」
 冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを取り出して、そのまま部屋に戻った。

 身体の変化はもう止まることはできないらしい。
 そのことについては、もともとわかっていたことだ。
 もういいじゃん、吸血鬼だって。
 みんな隠してはいるけど、人間の姿をした『別の生き物』というのは、案外多くいるらしい。
 同じクラスにだって、自分以外にもいるのかもしれない。
 だけど、心のどこかでそれに抗ってる自分がいる。
 心のどこかで、吸血鬼としては生きていきたくないと思ってる。
「どっちなんだよ、俺は……」
 ベッドに横たわって、四角い天井を見上げた。
 周りは何も変わらないのに、俺だけが加速度をつけて変わっていく気がした。