Man and Woman

Poker face

side Michiru 04

 それから三日、熱は上がったり下がったりで、学校に行けない日が続いた。
 三日目の昼過ぎに、父がすっぽん専門店に出向いて生き血から作ったというドリンクを買ってきた。
 今までも何度か口にしたことはある。
「ホントはあんまり好きじゃないんだけどな」
 リビングのソファに深く座って、生き血ドリンクが入った小さなグラスを揺すった。
 本物の血よりは少し薄まって透明感のある、鮮やかな赤い色をした液体がグラスの中で揺らめく。
「文句を言うなって。高いんだぞ」
「うん……」
 意を決して、グラスの中身を一気に飲み干した。
 胃から一気に身体中に沁み渡るような感覚。
「あれ」
「どうした?」
「なんか……すごい効く感じ。前に飲んだ時はこんな感じなかったけど」
 貧血の時に飲むと、次の日の身体が楽になった感じはあったけど、ここまでの即効性は感じなかった。
「満の身体が、血液を求めてたんだろうな」
「そういうことか」
「これで少し体力も戻るだろう」
「明日は学校行けるかなー。……あ、頼んでおいた雑誌は?」
 出かけるついでに買って欲しいと言っておいた本があったんだった。
「ああ、これでいいのか?」
 と、父が書店の紙袋を差し出す。
 中にはファッション誌が一冊入っている。
「うん、サンキュー」
 普段はそんなにファッション誌は買わない。
 ちょっと気になったところだけ立ち読みで済ますことが多いけど、とりあえず熱も下がってきたし、ずっと何もしないで寝てるのも退屈になってきた。
 かと言ってまだ勉強する気にもなれなくて、暇つぶしに何か雑誌を見たかっただけだ。
「とりあえず部屋でだらだらするわ」
 と、ソファから立ち上がって階段に向かった。

 枕を背中に当てるかたちでベッドに座って、雑誌をぱらぱらとめくった。
 服や靴なんかは、必要であれば親が買ってくれるけど、そんなにいっぱい買ってくれるほどうちの親は甘くは無い。
 父は服装には無頓着な方で、どんな格好をしていても何も言わない。
 母の方がいろいろうるさくて、最近は服の趣味が合わなくてよく『そんなチャラい格好してー』と文句を言っている。
「まー……チャラくなくはないよな」
 自分でも雑誌を見ていて思うけど。
 ……雫も、何も言わないな。
 ふと、雫のことを考える。
 雫本人は髪を染めたりパーマをかけたりもないし、私服だってギャルとは程遠い感じだ。
 ミニスカートくらいは履くけど、派手さがないよな。
 ……なんて言ったら、また膨れるんだろうな。
 そんなどうでもいいことを考えているうちに、少し眠ってしまった。

 玄関のチャイムの音が聞こえた気がして、気がついた。
 部屋のドアは閉めているけど、父が応対に出ているのがわかる。
 ……雫だ。
 声は聞こえなかったけど、なんとなくそう感じた。
 目を閉じて音を聞くことに集中する。
 体調のせいなのか、それとも身体がほとんど吸血鬼になってしまったせいなのかはわからないけど、今までよりも人の気配を強く感じるような気がした。
 普通なら聞こえるはずのない足音が聞こえる。
 雫が玄関に上がったんだろう。
 リビングに入って、階段を上る。
 少し緊張してる?
 全部、目の前で見ているかのようにわかる。
 部屋の前に立って、深く息を吐く。
 そんなことがわかる自分に少し驚きながらも、そのことを受け入れている自分がいる。
 運命は待ってくれない。
 ふと、そんな言葉を思い浮かべた。

「満?」
 声をかけると同時に、ドアをノックした。
 返事はしないで、目を開けた。
「寝てるの? ……入るよ」
 雫は恐る恐るドアを開ける。
「入っていいって言ってないし」
 俺がそう言うと、
「……起きてるなら返事しなさいよ」
 と、やっぱりぷっと膨れた顔をする。
 思った通りの顔をするからつい笑ってしまうんだけど、またそれが面白くないらしく、雫はますますふくれっ面になった。
「何か用?」
「用ってわけでもないけど……生きてるかなって思って」
 雫は開いたままだったドアを静かに閉めて、でもこっちに近付くわけでもなく、居心地が悪そうな顔をして立っている。
「とりあえず、生きてるよ」
「熱、あるんだって?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫だったら寝込んでないって……」
 それもそうだよな、と思って苦笑する。
「……ねえ、……私、ちゃんとわかってるつもりだよ? 満のこと。それでも、……ううん、だから、生きてて欲しいんだよ」
「……雫」
「満がこのまま死んじゃうなんて、絶対に嫌だ。絶対、だめだよ。だから……」
 死ぬようなことはあまりないんじゃないかなとか思う。
 でもわからないか。
 本格的に吸血鬼の身体になって、少しでも身体が弱っている時に日の光を浴びたら、どうなるだろう?
 今だって直射日光に当たるとけっこう体力落ちるっていうのに。
 半袖の季節が終わって本当に良かったと思ってるくらいだ。
「でも、雫とは付き合えない」
 半分自分に言い聞かせながら、雫に向かって言った。
「どうしてよ? 他の人だったら誰とでも付き合うくせに!」
 雫は怒った様子で声を荒げたけど、俺は雫のあんまりな物言いに思わず苦笑した。
「それはちょっとひでぇな……」
 図星ではあるんだけど、さすがに……誰とでもってほど選んでないわけじゃないんだけど。
 ……でもやらせてくれたら誰でもいいかも、とも、ちょっと思ったりするけど。
「本当のことじゃない!」
「そうかもしれないけど。でも雫はだめ」
「だからどうしてよ? 納得できるように言ってくれないと、帰らないからね!」
 キッとこっちを睨みつける雫には、自分が思ってることを全部言わないと伝わらないんだろうな。
 そう思って、まずは一呼吸する。
「ホントお前、頑固だよなー。子どもの時から全然変わんないんだから」
 俺が考えてること。
 雫に対する俺の気持ち。
 これから、どうしたいか。
 全部しゃべってしまって、そうしたら雫もわかってくれるかもしれない。
「雫の言うとおり、他の誰でもいいんだ、俺は」
「どうして、そんなに私が嫌い?」
「嫌い? そんな訳ないじゃん。嫌いなら部屋にも入れないし、話もしない」
「……意味わかんないよ」
 なんでわかんないかなあ。
 これだけずっと一緒にいるのに。
 そう思うけど、それは雫も同じ気持ちなのかもしれない。
 俺だって雫の気持ちに気がついてなかったんだし。
「俺は雫が好きだよ」
 俺の言葉を聞いた瞬間、雫が硬直した。
 やっとのことで、
「えっ……うそ……」
 とだけ呟く。
「嘘じゃないよ。言ったじゃん、雫と同じ高校に行きたかったんだって」
 雫は、俺がからかってるとでも思ってるんだろうけど。
「じゃあ、どうして」
「でも、好きだから、……大切にしたいから、付き合えない」
 誰よりも好きだから、大切にしたいから。
「雫が相手なら、今まで俺が付き合ってた子たちみたいに、一回やったら別れるなんてできないし」
「……そんな付き合い方してたの?」
 ……やっぱり、雫はドン引きしたような顔をする。
「ま、ね。そりゃあ、ちゃんと相手を決めてセックスしたほうが、血を飲むほどではないけど、身体は維持できるんだ。親は教えてくれなかったことだけどね」
 そうだ、さっきのドリンクを飲んだ時の感覚。
 セックスした後の感覚に似てた。
「そう…なんだ……」
「でも、セックスを繰り返したら、相手の身体に負担が掛かる。……普通の人間ではいられなくなる。だから、効果は少ないけど一回ずつね」
「私……私は、そういうことも考えてた。血をあげてたら、私も普通の人間じゃなくなるって……でも、それでもいいって……」
「だめだ」
「どうして……!?」
「雫は、普通に…普通に幸せになってほしいんだよ。うちみたいに面倒な生き物の巻き添えにしたくない」
「それじゃあ、満はどうするの? ずっとこのままなの?」
「このまま、は無理かな。今みたいにちょこちょことセックスしたって、身体はもう維持できてないし。もうすぐ直射日光も受け付けられなくなるんじゃないかな」
 このままでは、人間と同じ生活はできない。
 親もそれは言っていた。
「そんな……そんなことで、いいの?」
 雫の声が泣き声に変わる。
 目に涙が溜まって、今にも零れ落ちそうだった。
「仕方ないさ」
 俺はそう言って肩を竦める。
「俺みたいな生き物は、いない方がいいんだ。他人に迷惑をかけて生き続けるくらいなら、死んだっていい」
 雫は俯いて首を横に振った。
 その拍子に涙の粒がぽろぽろと落ちる。
「そんなこと……そんなことないよ! 満がいなくなるなんて、嫌だよ……!」
 両手で顔を覆って、泣くことを止めることはもう無理みたいだった。
「泣くなよ、雫」
 俺は座っていたベッドから降りて、雫の前に立った。
「雫はさ、誰かいい奴と付き合って、結婚すればいいんだよ。これからいくらでもそういう奴と会えるからさ」
 俯いて泣きじゃくる雫の頭を撫でた。
 つるんとした触り心地のいい黒髪。
「他の人じゃ、ダメなんだよ……満がいないと、ダメなんだよ」
 俺のTシャツの胸元をぎゅっと掴む、そんな小さな温もりに心がぐらつく。
 目の前にある細い肩を抱きたくなる。
「雫を泣かせたくて言ってるわけじゃないし。しょうがないんだって」
 雫はしゃくり上げながら何か言おうと声を漏らすけど、言葉にならない。
 ただ、俺の胸元を拳で小さく叩くだけだった。
 ずっとずっと好きだった。
 その女が俺に縋って泣いてたら、理性とか自制心とか、そんなものを繋ぎとめておけるほど強い男じゃない。
「あんまり困らせないでよ」
「それ……こっち、の…セリフ……」
 ぽろぽろと涙を零しながら、やっとのことで言葉を繋ぐ。
「そんな風に泣かれたら、こっちだって気持ちが揺らぐじゃん」
 絶対、雫には触れないんだって思ってたけど、そろそろ限界。
 頑張って拒絶してみたけど、自分の気持ちを一度伝えてしまったらもう、溢れだして止まらない。
 ゆっくりと顔を上げる雫の頬に涙が伝う。
 それを指先で拭った。
 雫のためを想って言ってるのに、俺の気持ちをわかってくれない雫が悪い。
「雫のこと、大切にしたいから言ってるのに……」
「私……満が、いるほうが…絶対、幸せだもん。……全然…わかって、ないんだから……」
「わかって……なかったよな、今の雫が俺のこと好きだなんて、知らなかったし」
「そう…だよ、ずっと、好きだったのに……」
「……俺の『お嫁さん』になるんだっけ?」
 小さい頃、そんなふうに言ってたっけ。
 あの頃から今までずっと、同じ気持ちだったなんて、知らなかった。
「あ……うそ……覚えて……」
 そこで雫の言葉が途切れた。
 柔らかくて温かい唇。
 今まで経験したどんなキスよりも、そっと口づける。
「……ほら、我慢できなくなるじゃんか」
「人のせいにしないで……」
 と、尖らせた唇にまた唇を重ねた。
 唇の隙間から舌を挿し入れると、肩がぴくんと震える。
 でも、雫には拒む様子はなく、俺を受け入れてくれているように思えた。
「…ん……」
 唇の隙間から漏れる小さな声も、いとおしく感じる。
 このまま雫のすべてに触れたい衝動に駆られるけど、それだけは我慢しなければならない。
 そう思って、唇を離した。
 雫は小さくため息をついてから、ゆっくりと目を開けて俺を見上げる。
「今のは、雫のことが好きだから、我慢できなかったんだ。身体のためなんかじゃない。……わかってくれる?」
「……うん」
「……こうなったからには、責任取ってもらえる?」
 そう言って雫の顔を覗きこんだら、相変わらずぷいっと横を向いてしまうけど。
「……全然、オーケーよ。飽きたって言われても、側にいてやるんだから」
 そんな素直じゃないところが、雫のかわいいところだって、本人はわかってないんだろうな。
「ホントに? ……でもおじさんに張っ倒されるかもな」
「まあ……それはあるかもだけど」
 お互いの額を当てて、笑いあった。
「ついさっきまで、雫とは絶対、こういうことしないって思ってたのに」
 しないというか、できないというか。
 絶対ないって思ってたけど、あっさりと覆された気がする。
「本当に……いいの?」
 雫の目を見つめたら、真っすぐに見返してくる。
 その視線だけで、答えがわかる。
「うん。……大丈夫」
「サンキュ、雫」
 抱きしめたら、背中に回る雫の手がそっと俺を抱きしめる。
 こうなったらもう絶対、離すもんか。
 そう思いながら、もう一度唇を重ねた。


END
2011/11/26