Man and Woman

La Vie en Rose

dream a little dream of me

バタバタとしつつも、お店は無事にオープンした。


「直人さーん。…じゃないや、オーナー。お花、また届きましたー。どこに置こう?」
 直人さんのことは、職場ではオーナーと呼ぶことになった。
 一応、他の人もいるし。
 オープン当日、宅配便で届いた大きなアレンジメントフラワーを抱えて、カフェ奥のレジカウンターにいる直人さんに声をかける。
 ……私が宅配便を受け取るまではそこに直人さんがいたから、いると思うんだけど。
 今は私は抱えている大きな花かごのせいで前が全然見えないから、ちゃんと直人さんに声をかけられているのかどうか、少し心配になったとき、
「ナナ?」
 と、花の向こうから声が聞こえた。
「はい」
「誰かと思ったよ。顔が見えない」
 くすくすと笑っているのも、声だけ聞こえる状態。
 それくらい大きなアレンジメントだ。
 お客さまがお花を見ながら私の脇を通っていくから、できるだけ壁に寄ったけれど、それでも少し通りにくかったかも。
 私がお客さまにすいません、と声をかけたらそのお客さまはニコニコと笑って通っていった。
 お花はなんとなく、人を笑顔にさせちゃうよね……と思う。
「花、思ったより多いなあ……ありがたいよね。でもそれ、大きいなあ」
 と、私の手からアレンジメントを受け取る。
 もうお店の中も外も、オープンお祝いとして届いたアレンジメントだとか花輪だとかでいっぱい。
「知り合い多いんだねぇ」
「まあ、ほら、あんな会社の一応は取締役だったし?」
 平野さんも、オリオンの主力と言えるようなブランドでデザインやってたんだし、そんな人脈が意外とあるみたい。
 私が抱えてきたアレンジメントには、私でも知ってるくらいの有名なデザイナーの名前が書かれた札が挿さっていた。
「こっちに置いておくかな。ありがとう、ナナ」
「どういたしまして」
 そう言うと、直人さんはやさしい顔で微笑んだ。


 そんな初日から、あっという間に一週間。
 私は明日はお休みになってるけど、直人さんは仕事に行くらしい。
「スタートダッシュが肝心だからね」
 と言って、最初の三週間は定休日を作らなかったから。
 おかげで、私も直人さんも、帰ってからごはんを作る余裕なんてなくて、外食ばかりになった。
 本当に、帰って寝るだけの生活。
 うちでお風呂に入って寝る用意をしながら、直人さんは明日の仕事の確認なのか、スケジュール手帳をめくっている。
 タブレットやスマートフォンも使ってるけど、スケジュールは手帳に書くのが好きなんだって言ってたっけ。
「思ったより取材多かったな。まだ何件か入ってるけど、だいたい落ち着いたかな」
 オープンしてすぐに、インターネットの記事になったのを見せてもらった。
「そうだねー。やっぱり平野さんって人気のデザイナーさんなんだね」
 毎日のように雑誌やウェブサイトの取材があったけど、平野さんが応対するのはほんの少しでほとんどは直人さんが話をしていた。
 オーナーだから、そういうものなんだろう。
「明日、ナナはゆっくり休んで」
「うん、まあ、家のこといろいろしておく。ずっと全然できてないし」
 ベッドに入って、軽くキスをして。
 ……それだけって、今までのことを思えばちょっと珍しい。
 でもお互いお疲れだから仕方ないかなと思いながら、すぐに眠ってしまっていた。


 そんな感じで、三週間。
 初めての定休日の前日は、オープン打ち上げってことでスタッフみんなで飲み会して。
 二次会が終わった頃には終電も行ってしまった時間だった。

「おつかれさま」
「ん、おつかれさまでした。直人さん、疲れたでしょ?」
 私のシフトは早番遅番とあったけど、直人さんだけは早番の時間に出勤して開店準備から、お客さまのお迎えをして接客、途中午後には一度レジの計算をして、事務の仕事とその合間にまた接客、最後にレジを閉めて、お店の鍵をかけるまで。
 遅番の一番最後に帰ることになっていた。
「まあねぇ。こんな連勤したのって何年ぶりって感じもするし」
オリオンでも入社してすぐの頃はいろいろな部署で仕事したって話だったけど、一度にこんないっぱいの仕事をすることはなかったかもしれない。
「それなのにちょっと夜更かししちゃったねえ」
「明日は休みだし、息抜きとまた頑張ろうってことでいいんじゃない? 三次会行くのは、元気だなあって思うけど」
 と、笑う。
「三次会行かない?」
「ナナは行きたい?」
「どうだろ……ちょっと酔ったし、眠たいかな……」
 お酒を飲むのは好きだし楽しいけど、そんなにお酒に強い方ではない。
「じゃあ、僕らは帰ろうか」
 と、直人さんは私の手を握って引き寄せた。
「僕らはここで帰ります。まだ飲む人は楽しんできて。お疲れさまー」
「あ、オーナーお疲れさまでしたー!」
 と、すぐそばを歩いていたスタッフのまどかちゃんが手を振って、それからみんな口々に「お疲れさまでした」と私たちに声をかけて歩いていく。
 直人さんはみんなを見送ってから、通りすがりのタクシーを止めた。


 うちに帰って、まずはリビングのソファーに座り込んでひと息。
「疲れた?」
「んー、直人さんよりは働いてないんだけど、少しねー。もういつもなら寝てる時間だし?」
「まあ、そうなんだけど、……ねえ」
 と、直人さんは私の正面に立って、ソファーの背もたれに手をついて少し屈む。
「んんん?」
「もう少し夜更かししませんかね?」
「んっ? ……ん」
 私が返事をするより前に、唇をふさがれてしまう。
 唇の間から舌を割り込ませて、私の舌を絡めとって……いつもより、少し急ぎすぎ?
 そんな感じがした。
「う…ん……っ……」
 屈んで立っていた直人さんはキスをしながら私にまたがるようにソファに膝をつく。
「……だって、さみしくなかった?」
 やっと唇を開放されて、目を開けたとき、そんなつぶやきが耳に入った。
「ん、んん……」
 どう返事をしたらいいのか迷って、少し間が空いたところで、
「……こういう言い方はよくないな。……僕は、さみしかったよ」
 直人さんはそんなふうに言って、私の肩に額を乗せて少し照れたように笑う。
「え……」
 さみしかったなんて言葉、直人さんの口から出ると思ってなかった。
「そりゃあ、仕事は大事だし。僕だけのことじゃないから」
「あ……うん」
「これからどうなるのかわからないような新しい会社で、それでも働きたいって言って来てくれる人がいて……ナナだってそうだし。そういう人がいて、会社始めて、前とは責任が全然違うから」
「うん」
「ナナも、疲れたかなって思って……まあ、僕もちょっといっぱいいっぱいだったし」
「うん」
「でも、……しなさすぎたなって」
「……うん?」
 私の相槌が思わず疑問形になると、直人さんは面白そうにくすくすと笑いだす。
「ナナもつまらなそうにしてるのはわかってたんだけどさ」
「えっ、いやいや、別にあたしは」
 そんなつもりはないんですけど。
「つまらなくなかった?」
 直人さんは顔を上げて、額を私のおでことくっつけて、上目遣いで私と目を合わせて……そういう甘えたような顔をするのは、ずるいと思う。
 て言うか、私たちはそんなのばっかりだ。
 いつも私は直人さんの手のひらで転がされてるような気がする。
「つまらないとかつまるとかじゃなくて……だって、忙しくて疲れてたでしょう?」
 そりゃあ、我慢してたことなんてないって言えるわけではないけど。
「そうなんだけど。僕はつまらなかったよ? もうこんな連勤はやめておこうって思った。シフト考え直すよ」
 と、直人さんは苦笑する。
「それはしょーがないよ……」
 私もつられて笑って、直人さんの背中をぽんぽんと撫でた。
 今のところは事務仕事をするのは直人さんだけだし、直人さんと平野さん以外はアルバイトばかりの小さな会社だし。
 経営に関してはどうしても直人さん一人に負担がかかってしまっている。
「あたしも事務できたらいいんだろうけど」
「いや、ナナが淹れるコーヒーは美味いし、接客もだいぶ慣れてるだろ? ほんと即戦力でありがたいよ」
「そう?」
「でも今はそういう話じゃなくて」
 と、直人さんは私の口を唇でふさいでしまう。
「んん……」
 直人さんの手のひらが私の頬から肩を通って、胸元を撫でるから、キスをしながら声が漏れる。
 直人さんの唇が鼻先や頬に触れて、耳元に滑っていくけど。
「ね、待って」
「なに?」
「あたし、シャワーしないと」
 昼間は仕事で汗かいたし、飲み会の席ではタバコを吸う人もいたし、これからのことを考えるとやっぱり気になる。
「僕は気にならないけど?」
「あたしは、気になるの」
「僕もシャワーした方がいい?」
「直人さんのことは気にならないかな……」
 だいたいいつも、される一方なんだし。
 自分が汗くさいのはちょっと気になるけど、直人さんがどうとかは気にしたことはない。
「パパッと済ませるから待ってて」
「じゃあ、ナナがシャワーしてる間に歯磨きしとくかな」
 うんうん、それがいいと思います。
 もう一度私の鼻先に軽くキスをして、直人さんは離れた。
 私も立ち上がって、
「じゃ、急ぐから待ってて」
 と言って、着替えを取りに寝室に寄ってからバスルームに向かう。
「ゆっくりしてきてもいいよ」
 と笑う直人さんの声が後ろから聞こえた。


「……直人さん?」
 ゆっくりしていいよって言われたけど、それなりに急いで洗って、髪を乾かしてから寝室に行くと、直人さんはもうベッドの中にいるようだった。
 そっとベッドに入るけど、反応がない。
「あれ……寝ちゃった……?」
 待たせて悪いことしたかな、とかちょっと考える。
 そのとき、直人さんの手が伸びてきて、ぎゅっと抱き寄せられた。
「きゃ」
 思わず小さな声を上げてしまうけど、ただ、直人さんはそれ以上は動かない。
「……やっぱり、寝てる……」
 私の額のあたりに微かにあたる呼吸は、寝ているときのもののようで。
 ちょっと見上げたら目を閉じたままの直人さんの穏やかな寝顔が見えた。
「……まあ、いっか……」
 したくないわけでもなかったし、あんなふうに身体に触られたら、それなりにそういう気分になったりもしたけど。
 でも時間でいえばもう日付けも変わってしまった時間だし、そんなことを考えると、直人さんの腕のぬくもりに眠気を感じてしまうし。
 目を閉じて、呼吸を合わせて、そうすると幸せな気持ちになって。
 夢の中でも直人さんと一緒だといいな、なんて考えながら。
「おやすみなさい」
 小さな声でつぶやいて、直人さんの鼻先にキスをした。


END

2016/03/25