Man and Woman

satisfaction moment

01. 君は僕のお姫様

 定時を少し過ぎた頃、「お先に失礼しますー、おつかれさまです」という同じ部署の先輩の声に、私はふと顔を上げた。
 もうそんな時間か……と思いながら、デスクのノートパソコンのメールソフトを立ち上げ、急ぎの仕事が入っていないか確認する。
「特になし、か」
 小さな声で呟いて、パソコンの電源を落とした。
 それからデスクの上のファイルなどをひとまとめにして引き出しにしまい、立ち上がる。
「私も失礼します、お疲れさまでした」
「はい、お疲れー」
 部長の声にぺこりと軽く一礼して、オフィスから出る。
 歩きながらバッグの中にあった携帯を取り出すと、メッセージが入っていることに気付いた。
 ……彼からのメッセージ。時間は今数分前だ。
 メッセージを開くだけでもどこかくすぐったいような気持ちになる。
『ほのか、おつかれさま。残業はない?』
 すぐに返事を送る。
『おつかれさま。今日はもうおしまい。哲弥さんは?』
 会社のあるビルを出て、地下鉄駅に向かう。
 ひとつめの信号で立ち止まった時に、手に持っていた携帯電話が震えた。
 画面には、
『こっちは少し残業。』
 というメッセージとともに、泣いた顔のイラストが添えられている。
 そしてすぐにもうひとつメッセージが届いた。
『明日、泊まれるようにしてもらえる?』
「あれ……そうなんだ」
 一人暮らしだから、外泊は特に問題はない。
 金曜の夜はできるだけ時間を合わせて二人で会うことにしているけど、外泊することは少なかった。
『大丈夫だよ。どこか行くって決まってるの?』
 と送り、地下鉄駅への階段を下りる。
 下りきったあたりでまたメッセージが入った。
『土曜は予約で埋まってて。大丈夫ならよかった。じゃあ、また明日。』
『明日、楽しみにしてるね。残業がんばって。』
 私は改札そばで立ち止まってメッセージを送り、それから改札を通った。


 哲弥さんは五歳年上の、部署は違うけど同じ会社で働いている、先輩にあたる。
 入社して半年の頃に同じチームになり、仕事を教えてもらううちに好きになっていって。
 なかなかうまく伝えることができないまましばらくいたけど、今はつきあって半年になる。
 仕事には手抜きや甘えはないしっかりした人だけど、つきあうととてもやさしくて。
 包み込まれているって、こういうことなんだって思えるような人だ。


 次の日、定時を一時間ほど過ぎた時間に、会社とは少し離れた商業施設で哲弥さんと待ち合わせる。
「あっ、もう来てたんだ? おつかれさまー」
 近寄るとやさしく微笑んでくれる。
 そういうところが好きだなって思う。
「今さっき来たところだよ。おつかれさま」
「まっすぐ出かける?」
「いや、まずごはん食べようか」
「うん。じゃあ何がいいかな? ……あ、泊まりってどこに?」
「うん、あとで」
 と哲弥さんが言って、少し目が泳いだ。
「……なに?」
「いや、あとで、車で行こう」
「えっ、車?」
 哲弥さんは車は持っているけど、普段は私と同じに地下鉄通勤のはず。
「珍しいね?」
「うん、まあ。車じゃないと行きにくい場所でね」
「ふうん、そうなんだ」
 ちょっと哲弥さんの様子は気になるけど、たいしたことじゃない。
 ……と、そのときは思っていた。


「あれ、ラブホ?」
 哲弥さんの車に乗って連れて行かれた先は、郊外の住宅街にあるラブホテルだった。
 地下の駐車場に入った分では、他の普通のラブホテルと変わりはない。
「ここじゃなきゃダメなの?」
「うん、なかなかいい部屋がね……ちょっと、ほのかに黙ってたことがあって」
「え?」
 何だろう? と、私は首を傾げて哲弥さんの顔を見上げた。
 哲弥さんはフロントで名前を言って、鍵を受け取る。
「ほのかなら大丈夫だろうって思って……大丈夫ならいいんだけど」
「なに?」
「部屋に入ったらわかるよ」
 と、少し苦笑いのような微妙な顔をしてエレベーターに乗り込み、私もその後ろについていく。
 哲弥さんは三階のボタンを押してドアを閉めた。


 エレベーターを降りて、廊下の一番奥のドアが予約してあった部屋だった。
 ラブホで予約っていうのもちょっと珍しいな……と思いながら、哲弥さんが開けてくれたドアの中に何も疑いもしないで入って行く。
 その部屋は白い壁に赤いファブリックでまとめた少しスタイリッシュな部屋で、……見慣れない形の椅子が置いてあって、壁にはベッドファブリックと同じ赤で大きなXの形が貼ってあって、その四隅には赤いベルトがついた鎖がぶら下がっていた。
「……これ、何?」
「うーんと、いわゆる、SM部屋?」
「いやいや、哲弥さんが予約したんでしょ? 間違えた?」
「いや、……ほのかに黙ってたことが……これなんだけど」
 ……いやいやいや、状況がよくわからない。
「えっ……そういう趣味? なの?」
「まあ、……うん、そうなんだ」
「いやいやいやいや、あたし痛いのとか無理だし! あんまりマゾくないし!」
「だから、連れてきたんだ」
「え?」
 哲弥さんは、ゆっくりと膝を折って床に跪く。
「……え?」
「僕を、縛ってほしい」
「え……えええぇ!」
 そっち? そういう趣味か!
 私は驚きのあまり、
「えー……」
 としか言えない。
「お願いします。ほのかなら、してくれると思って……」
 なんて、床に正座したまま私を見上げてくる哲弥さんを見たら。
 ……ちょっと、キュンと来ちゃったりして。
「ほ、本気? ほんとにこういうの好きなの?」
「うん」
 即答! びっくりしてるけど、でもなぜだか胸の奥がキュンキュンして止まらない。
 確かに、正直、私が主導権を握るセックスは、好きだったりする。
「でもでも、縛るって……縛るんだ……」
「縛ってください、お姫様」
 と、私を見上げて微笑む哲弥さんの表情に声に、……私のどこかにあったスイッチが入ってしまう。
「えっと、じゃあ……ここに立って、手、出して」
 赤いベルトが届くところに手を伸ばしてもらって、手首に巻きつける。
 手足それぞれ四つのベルトで固定して、その哲弥さんの姿を眺めた。
「……これでいいの?」
「そう。ありがとう」
「あ……あとは?」
「ほのかの好きなようにして、ください」
 縛りつけられているっていうのに、哲弥さんはすごく満足そうな顔をしていた。
「じゃ、じゃあ、私、こんなふうにしちゃってから言うのも悪いんだけど、シャワー浴びたいの。いい?」
「もちろん」
 そう返事をした彼をそのままにして、私は急いでバスルームに入った。


 シャワーを浴びて、下着を取り替えて。
 偶然にも今日の下着は黒のレースに赤い小さなリボンがついているもので、それは彼の好みを考えて選んだものだった。
 そしてそれはもう、今のお部屋とシチュエーションにぴったりで。
「合いすぎでしょ」
 と、脱衣室の大きな鏡に映った自分を見て呆れる。
 そういえば、黒とか赤とかの色の、ややきわどいデザインの下着が好きだったりして、一応こういうシチュエーションも彼にとっては唐突ではないつもりなのかもしれない。
 ……いや、けっこう唐突に感じたから、うまくはいってないことになるけど。
 でも、……ドアの向こうに出るのが少し楽しみな自分も、いる。
「……お待たせ」
 ドアを開けると、その向こうにさっきと同じままの哲弥さんがいる。
「ほのか。その下着、すごくきれいだ。似合ってるよ」
 哲弥さんは……なぜか……いや、やっぱり。
 もうセックスの最中のような顔をしていて、そんな彼の顔が好きな私としては、また胸がキュンと来ちゃったりして。
「哲弥さん……あの、……どうしたらいい?」
 私は彼の前に立った。
「ああ……僕に、触って。ほのかの好きなように」
 哲弥さんの返事を聞いてから、私は彼のネクタイに手を伸ばす。
「うん……」
 ネクタイをゆっくりと解いてからワイシャツのボタンをひとつずつ外して、胸元をはだけた。
「ほのか……」
 熱っぽいため息で名前を呼ばれて、私も気分が高揚していく。
 少し背伸びをして唇を重ね、舌を絡ませると哲弥さんも応えてくれる。
 哲弥さんの首筋から胸元を指先で撫でながら、キスを続けた。
「あぁ……」
 哲弥さんの小さな乳首を指先で撫でると、小さな声を洩らす。
 その声に、その顔に。ぞくぞくする。
 嫌な感じではなくて、これからの行為に対する期待感。
「哲弥さん、気持ちいいの?」
「うん、もちろん。すごく興奮する」
 滑らかで引き締まったおなかの上を通って、スラックスのベルトに私の指がかかる。
「いい?」
 哲弥さんは返事の代わりに熱い吐息を漏らした。
 私はゆっくりとした動作でベルトを外し、ボタンを外してファスナーを下ろした。
「あ……もう、こんなになってるの……?」
 ボクサーショーツの中はもう窮屈そう。
「そうだよ。……ほのかがシャワー浴びてるときから……いきなり放置プレイだなんて」
 と、苦笑いを浮かべた。
「あっ、えっ、そう言えばそうだよね! うわ、ごめんね」
 ただただ、シャワー浴びないでするのは気が引けただけなんだけど、そう言われたらそういうことになって……。
「天然で女王様なんだな、ほのかは。……こういうの、いい?」
「ん……んん……」
 ちょっと返事に困って首を傾げてしまうけれど、それでも哲弥さんの姿を見ているとすごく触れたくて、気持ちよさそうに声を上げるところを見たくて。
「ん……嫌いじゃない……かな」
 と、ボクサーショーツの上から、熱くなった哲弥さんのそこを撫でた。